5月のまとめ

5月に行った展覧会まとめ

 

 

 

 

とうとうどこにも行かなかった。開いている場所がかなり限られていたのもあるが、余裕が無かったのも大きい。緊急事態宣言が解除され、6月1日から開館を発表している施設も出てきたが、行けるかはちょっとわからない。予約制というのもあるし。現況で一番嫌なのは、方々が閉まっていること以上にマスクの着用が社会義務になっていることだと過ごしていて気づく。マスクを長い時間着けているのが嫌いだ。

 

 

5月に読んだ本まとめ

 

シュトルム『みずうみ他四篇』
田丸公美子『パーネ・アモーレ イタリア語通訳奮闘記』

飯間浩明『小説の言葉尻をとらえてみた』
葛西聖司『教養として学んでおきたい能・狂言
立石泰則『ソニー最後の異端―近藤哲二郎とA3研究所』
吉村昭三陸海岸津波
河出書房新社編『わたしの外国語漂流記 未知なる言葉と格闘した25人の物語』

 

 

引き続き積読消化月間。プレゼント企画に応募したら能・狂言の本が当たった。家に小説があまり無いことに気づいた月だった。その中で、数少ない未読というか全篇読んでいなかったのがテオドール・シュトルムの短篇集で、失われた在りし日々を想い起こさせる各々の作品は今の日々に大きく響く。図書館の予約・貸出機能が来月から復活するので、使っていけるといいな。実はまだ諸施設閉鎖前に借りた図書館資料を消化しきれていないのだが、読み切れるだろうか。

4月のまとめ

4月に行った展覧会まとめ

 

家具の博物館

 

 

本当に1ヶ所しか行かなかった。行きたいと思っていた展覧会も、美術館がほとんど閉館している状態の中、行かず仕舞いのままいくつか会期が終わった。百貨店の類も閉まり、ギャラリーも閉まり、そもそも家にいろという空気が強く、家の周囲をうろうろするだけで行ける場所も無かった。オンライン展示企画をやってくださる館はありがたいのだが、展覧会はその場に身を置いてこその全体芸術だと思っているので、やっぱり求める物とは少し違うんだよな。何かを見たいからというだけじゃない。GWが明けようとも情勢は大きく変わらないかなあ。また色々見に行ける日がまた来ることを願っている。

 

 

4月に読んだ本まとめ

 

カウテル・アディミ『アルジェリア、シャラ通りの小さな書店』
虚淵玄鬼哭街
横山秀夫出口のない海

大久保利謙『日本近代史学事始め―一歴史家の回想―』
池上俊一『パスタでたどるイタリア史』
池上俊一『お菓子でたどるフランス史
酒井順子『女を観る歌舞伎』

 

 

図書館が利用できないので、必然的に積読消化月間となった。買ってから放置し続けてきて数年ぶりに開いた本を何冊か消化できたのはよかったが、無気力が高じたり、ゲームに時間が吸われたりして大して冊数を読めなかったのが恥ずかしい。家の中を漁った結果、小説を買う習慣が無いことを自覚した。そして、今は無性に小説を読みたい。近傍の図書館の6月までの閉館が決定したため、この状況は当分変わるまい。依然として数の多い積読を消化していくとして、失われていく活力をどうにかせねば。

家具の博物館

 緊急事態宣言が発令され、美術館・博物館は当たり前にどこも閉まってしまった。図書館も予約資料受け取りすらダメになり、そもそも家から出るなというのがスタンダードな世情、なんだかんだで外歩きが好きな身としては辛い物がある。まあそれでもなお、1日に1時間ちょい歩く散歩はたまにするんだが。今回はそんな緊急事態宣言前夜の4月7日(火)に訪れた家具の博物館の話。

 

 立川駅から分かれる枝の一つ青梅線。立川から3駅の中神駅に着いたのは13時40分頃。乗車段階で青梅線方面の電車が来てくれてよかった。降りたのは初めてだ。改札を出ると、「あきしまくじらのあんないばん」と銘打たれた、昭島市の地図が載ったクジラの地図が目に入る。昭島はあまり馴染みが無いな。駅の外へと繋がる階段の脇には、中神工業団地案内図があった。なるほど、この辺りが東京の工業エリアなのか。グリコ乳業敷島製パンの工場を地図の中に見つけ、今なお人が集まって稼働しているのだろうなあ。閑散とした街中を歩くこと数分程、フランスベッドの大きな工場敷地を眼前に、脇の入り口から建物へと入って行く。今日の目的地、家具の博物館だ。

 

 

 入口でアルコール消毒をして入館。入館料の200円を支払い、チケットと館内パンフレット及び博物館だよりをもらう。後で確認したら、博物館だよりは4号分もいただいていた。ありがたい話だ。受付の正面に鎮座していたクラシカルなソファが印象的。

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博物館だより4号分と衣裳ダンスの写真が載った入館チケット

 そのまま直進して展示に入っていく。初っ端から木材標本に触れられる展示コーナーから始まった。コーナーの上に貼られた木の名の漢字で埋まったシートを軽く眺め、段の上から木材標本を順々に手に取って触っていく。漢字シートは半分ぐらいは読めたが、見たことすらない字もいくつかあった。印刷されたプリントをもらって漢字への意識は早々に追い出し、木の重みを、肌触りを、色合いを感じていく。木にも家具にも詳しくないので、それぞれの木材の特性を新鮮に感じる。クリやニレは軽い。あった中ではキリが一番軽い。マホガニー、ラワン、チークなど、漠然と名前だけしっている木材にも触れ、最後にコクタンの重さを感じる。導入から結構楽しんでしまった。まだ家具を見ていない。

 このコーナーでは、木の名の漢字の横に貼られていた、木に関する言い伝えのシートも印象深い。センダンは棺桶にする木なので忌む。ツバキは首が取れるように花が散るなどの理由から道具の材料とするのを忌む。 エノキは神が宿るなど、凡俗に過ぎた木なので、伐って用いると貧乏になる。囲炉裏の炉縁をナシの木で作るのは、四ツ木梨、すなわち世継ぎ無しに通じるのでならぬ。民間の言い伝えは面白い。

 

 先へ進む。最初に見た家具は明治・大正期のサイドボード(食器戸棚)。アール・ヌーボー調の植物の彫刻装飾が目を引くが、それ以上に、細かな傷がいくつもある所に、実際に家具として使われてきたんだなという感慨が湧いた。家庭の中に確かにあったんだなと。お隣には戦前・昭和時代の鋳鉄製のベッドがあった。何も載っていないフレームのみなので、ベッドらしいぬくもりを感じる物ではないが。昭和10年頃購入、平成13年まで使用していたらしい。平成13年というと2001年。2000年過ぎまで使っていたと思うと割と最近な印象を感じたが、それでももう20年前か。20年で家具はどう変わったのだろう。リアルタイムで変化を意識するほど家具に興味が無いのでよくわからないが、ベッドも基本的な構造自体が大きく変わった画期的な物が産まれている印象は無い。どうなんだろう?

 ここでも展示の解説パネルが興味深かった。ベッドの普及について解説したパネル。昭和初期までベッドは病院やホテル、ごく一部の知識人だけが用いる物で、本格的に一般に普及したのは第二次世界大戦後だという。昭和30年(1955)に双葉製作所が昼はソファ、夜はベッドに組み替えられる簡易型分割ベッドを発売し、これが女性を中心に若い世代にヒット。昭和40年代に本格的な一本ベッドが普及したと。世帯別のベッド普及率は、1966年には13.1%だったのが、1999年には56.7%に上昇。そして、ベッドの普及は専用の寝室を家屋に設けることに繋がり、開放的だった日本の住宅の個室化の大きな要因となったらしい。家具が家の構造を変え、それはおそらく生活スタイルを変えたんだろう。個室化されたということは、家の中で独りになれる時間を過ごせる場所ができたということだから。布団からベッドへの生活スタイルの変容が、住宅を、生活を変えていったとは考えたことも無かったな。こういう新たな思考との出会いがあるから博物館めぐりは止められない。

 

 壁側に家具が陳列されている向かいでは、家具の博物館の椅子コレクションが展示されていた。館として200余りを所蔵しているらしい。工芸指導所のイスの展示エリアから。イサム・ノグチがデザインしたスツールがまず目に入る。3本の反り脚は、古代中国の盃の脚の断面をモチーフにしているらしい。確かに、スツールの脚部が古代中国の青銅器の鼎を思わせる。教務用室プロトタイプ、食堂椅子、肘掛椅子が続き、学業用パイプ椅子と机のキャプションに目が吸い寄せられる。この机と椅子が、後に全国の学校用家具のモデルとなったと。当たり前といえば当たり前だが、今目にするような学校の机や椅子も起点となったモデルがあることに感動していた。工芸指導所ということは、民間ベースではなく、官側のアプローチとして学校用備品は整備されていったんだな。それはそうか。

 

 壁側に戻る。今度は組手接ぎ(組接ぎ・組継ぎとも)の体験コーナーがあった。箱などを組み立てる際に、2枚の板材を接ぐ方法。シンプルな石畳組接ぎから、様々な蟻型組接ぎを、板材を組み合わせたり外したりして遊んだ。蟻型組接ぎすごいな。しっかり噛み合って外れない。木材の継手は興味を持っていただけに、思いがけず体験できて良かった。ネジも釘も接着剤も使うわけでは無いのに、ここまでシンプルな構造で外れないようになるのだなあ。

 突き当った部屋の角っこは、テレビが置かれたビデオ鑑賞コーナーになっていた。この小さな一角だけでタイムスリップしたかのような感覚を味わった。本が収められたキャビネットに、受付脇で見たソファ、2つのチェアに机。お洒落にお茶会をするような空間だ。テレビが鎮座しているけれど。ビデオの鑑賞は受付に言うと出来るみたいだったが、今日はこの展示空間を感じることに終始したいのでパス。また来る日もあろう。

 

 ここから時代を一気に遡る。内側には、19世紀末のイギリスのドロップリーフテーブルと、同じくイギリスのロッキングチェアが、古びた写真と共に展示されていた。正三角形のテーブルの各辺に垂れ板が取り付けられ、上げ下げすることでカスタマイズできるテーブルと、座席下に引き出しのあるロッキングチェア。

 壁側には1780年頃にスペインの農家で使われた3本脚のイス。カップボード(食器戸棚)、荘重な作りのコートカボード(2段の低い食器戸棚)、カボードセッツル(戸棚付長椅子)、ラダーバックチェアにチェストが続いていく。大きな家具がずらっと並んでいると壮観だ。ラダーバックチェアの脇にあった、ウォーミングパンという道具が面白い。綴りはwarming pan。蓋付きの真鍮製の平らな鍋に長い柄が付いている道具で、鍋の中に熱した煉瓦や鉄の塊を入れ、夜寝る前にベッドを暖めるのに用いられたという。ベッドを暖めるための器具があったんだな。スピンドルバックチェア、サイドチェアなど椅子が続き、奥の角っこにはクラシカルな大きい家具が鎮座していた。バーキャビネット、ロングケースクロック、ジェントルマンプレス(男性用衣裳ダンス)、ライティングキャビネット。壁にはイギリスの家具様式の変化についてのキャプションがあった。ジョージ1世~3世の間がジョージアン様式、トーマス・チッペンデールやジョージ・ヘップルホワイトが活躍し、軽快優美で機能性に優れた家具が作られた。ジョージ3世の晩年が新古典様式、ヴィクトリア女王の時代になると復古的古典様式で機能美から離れ、形態や装飾の著しい誇張が目立つようになるが、19世紀後半になると市民生活に適した新たな家具が作られていく。機能美型の家具の方が好きな感じがするが、ヴィクトリア期の華美さもインパクトの大きさとして悪くない。

 これらの時代を感じる家具の向かいでは、ミニチュア椅子がいくつも展示されていた。菊地敏之が欧米のクラシックチェアを1/5で再現した、菊地コレクションなる物らしい。ウィンザーチェア、チッペンデール様式のイス、ロココ様式のイスなど、20程あっただろうか。こういうミニチュアを見ていると、人形遊びも楽しそうだなとか、模型として部屋などを作っていくのも楽しそうだなとか感じる。

 

 クラシカル家具を目に焼き付けて先に進むと、壁側の展示エリアには仏壇が鎮座していた。一気に感覚が日本へと引き戻される。仏壇のある家で育たなかったので判断しかねるが、豪華な物だなあ。夜具箪笥、座布団箪笥、いずめ(赤子を入れておくための籠、いわゆるベビーベッド)が陳列され、壁には夜着が掛かり、意識が和へと染まっていく。座布団箪笥はなかなか大きく、座布団を入れるためにこれだけの箱を使っていたことに驚いた。ここのキャプションも興味深い記述があった。明治期に綿布団が普及し始めると、押し入れの無い家で夜具入れ需要が湧いた一方、婚礼用の長持は使い勝手が悪く廃れていき、長持に代わる新たな商品として大きな夜具箪笥が産まれたという。確かに長持は使い勝手悪そうだなあ。取り出しづらそうだし。

 

 和の気分のままに振り返って内側の展示エリアを見ると、ウィンザーチェアが何脚か展示されていて、気持ちがまたイギリスに帰っていく。ウィンザーチェアは17世紀後期にイギリスの地方の町家や農家で用いられていた木挽きイスが起源で、上部・使いやすい・味わい深いという三拍子に加え比較的安価な値段から、都市の中流家庭に広まっていったという。1720年代には北米植民地のも渡って行き人気を博したらしい。シンプルで使いやすいのが一番だね。その生産は、1脚につき50~60工程に細分化され、各工程ごとに職人の賃金が定められた分業体制で生産されたと。随分近代的な生産スタイルだ。

 

 さらに進むと江戸時代の商家家具が目に入る。ここからは最後までずっと日本の家具が展示されていた。帳箪笥、銭箱、帳場格子。大きく「す」と書かれた酢屋の看板に、両替屋の看板。梅に薬玉ののれん。ここは江戸の町か。壁側には、大きな水屋戸棚と階段箪笥を後ろに、扇子の意匠の自在鉤に、豆炭入れ、火消し壺、五徳、箱膳、箱火鉢、安全炬燵などが並べられていた。立てても寝かせても転がしても中の火容が水平になるようになっている、六角柱の安全炬燵が印象的。ありがちだけど、こういう構造の道具を見る度に、初めに作った人のすごさを思う。

 中に灰と炭を入れ、火を起こして暖を取る行火(あんか)が展示されているのを見て、巨大な車箪笥と車長持に目を奪われる。デカい。下に車が付いており、非常事態に持ち出せるようにした箪笥と長持で、明暦の大火の際にはこれの大渋滞となって被害が大きくなる由縁となり、何度か禁止令が出された代物だ。続いて壮麗な衣装箪笥がいくつか並び、箪笥にあしらわれる文様の解説パネルが長々と続く。しっかり読む元気を失いつつあったので、てきとうに流しで読み、箪笥を眺めていく。

 

 また時代が転換し、昭和期の家具の展示コーナーに入る。相引という、歌舞伎などの舞台で用いられる腰掛けの組み立てコーナーがなぜかあったので、ばらされた部品を腰掛へと変え、昭和気分を味わいながら進んでいく。ちゃぶ台、柱時計、洗濯板、折り畳み勉強机など。イスとソファーの応接セットが展示され、ケースに入った船箪笥をいくつか見て展示は終わった。最後のエリアの途中から、これはスタート段階で展示順路を逆走して見て行ったんじゃないかと勘繰ってしまった。エリアによっては戻って見るのも良かったかもしれない。

 

 

 ということで、200円の入館料にしてはかなり楽しんだ。他に誰も来館者がおらず、贅沢な時間を過ごせたのも良い。美術館などの展覧会で家具を見る機会はそれほど多くなく、展示されるような歴史的な家具をこれだけ見ることもほとんど無いし。展示替えがあるのかもしれないが、全体としてはイギリス家具と日本家具がメインだったので、他の地域の家具については調べてみようかな。家具文化に興味も湧いたしな。

 この後は昭島駅まで歩き、駅前の観光案内所で昭島市のマンホールカードをゲットして帰宅した。次にこの近辺に来る時は、 昭島・昭和の森 武藤順九彫刻園に訪れたいところ。もう今月展覧会に行く機会はおそらく無く、来月もどこかに行けるかどうか怪しい所ではあるが。文化の燈が絶えないことを願って。

3月のまとめ

3月に行った展覧会まとめ

 

THE CLUB “all the women. in me. are tired. “ -すべての、女性は、誰もが、みな、疲れている、そう、思う。―
ギンザ・グラフィック・ギャラリー 河口洋一郎 生命のインテリジェンス
ROCKET Photographer MAL/丸本祐佐 30th anniversary solo exhibition
pixiv WAEN GALLERY LAM個展「目と雷」
NANZUKA Sex Matter
DIESEL ART GALLERY RK個展「NEOrient」
NANZUKA 2G Trex
西武渋谷店 コンテンポラリーアートセレクション
Bunkamura Gallery 金子國義展 聖者の作法
三鷹市山本有三記念館 「真実一路」の歩み
ぎゃらりー由芽 伊佐雄治展[円意]
トーキョーカルチャート by ビームス 佐藤理展「感謝感激雨霰(カンシャカンゲキアメアラレ) — GRATEFUL IN ALL THINGS」
EUKARYOTE ギャルだからって入りやめてくれ 軽率なギャルはギャルをリスペクトするならやめるべき
原宿ACG_Labo フレーミングガールズ~青木俊直個展~
渋谷ヒカリエ 小笠原盛久展ー出会いのラプソディ"Rhapsody in the Air"
國學院大學博物館 國學院大學図書館の名品~神の新たな物語―熊野と八幡の縁起~
渋谷マルイ 潤宮るか展 in 渋谷マルイ

 

美術館では展示を見なかった。大体の美術館・博物館が休館に入り、自粛要請でギャラリーも閉まる場所が多く出るとはなあ。見たい展覧会は早めに行かないと不測の事態で終わることがありうることを痛感した一ヶ月だった。来月も厳しそうだな。ジャンル問わず行ける数少ない場所と機会を大事にしよう。

 

 

3月に読んだ本まとめ

 

金原ひとみ蛇にピアス
佐々原史緒暴風ガールズファイト』1~2巻
島田明宏『ジョッキーズ・ハイ』

尾上陽介『中世の日記の世界』
影山純夫『禅画を読む』
衣川仁『神仏と中世人 宗教をめぐるホンネとタテマエ』
ケンジ・ステファン・スズキ『デンマークという国を創った人びと―”信頼”の国はどのようにして生まれたのか』
筒井清忠編『昭和史講義【戦前文化人篇】』
吉田裕『日本人の歴史認識東京裁判

 

小説はそんなに読まず、興味ある分野の知識を入れるかと読んだ本が多かった。コロナウイルスの影響で、図書館の書架で本を選べなくなったのが本当に辛い。図書館でブラウジングする時間が好きだったのだが。そして、近隣の図書館で予約資料の受け取りすら出来なくなってしまった。仕方ない、家の積読を消化していくか。

「真実一路」の歩み

 大分空いてしまった。新型コロナウイルスの影響で、美術館も図書館も一挙に休館し、外出しようとも文化日照りにオロオロ歩く日々を過ごしていた。何というか、こんな時代になろうとも、イレギュラーな事態によって社会はここまで混乱して崩れていくんだなと。

 3月も半ばを過ぎ、いくつかの施設が開館へと転じ、地元の図書館も機能が限定されながらも何とか資料の貸し出しが出来るようになった。先の見えない状況はまだまだ変わらないが、本と展覧会ぐらいしか余暇の楽しみが無い身にとって少し気分がマシになってきたところで、昨日3月22日行ってきた展覧会の記録。

 

 

 三鷹駅から歩くこと十数分。大きな石を前景に、おとぎ話のような家が佇んでいる。煉瓦積みの1階外観に日本の家で目にすることのほとんどない煙突。作家・山本有三が一時家族と暮らしていたという、三鷹市山本有三記念館だ。ちなみに、門の手前にある大きな石は「路傍の石」という名前が付いている。

 到着したのは13時15分頃。恥ずかしながら未だに山本有三作品を読んだことはないが、この記念館に訪れた回数は5回を確実に越している。訪れる度に読みたい意識は募らせているのだが……。怠惰が悪い。受付で入館料の300円を払うと、新型コロナウイルス感染症の拡大防止のため、万一感染者が発覚した際に感染経路を特定するべく、名前・住所(市区町村まで)・電話番号を記入するよう求められた。……仕方あるまい。開館を無邪気に喜んでいたが、今はそういう事態なのだと思い知らされた。

 

 何度も訪れているが、大正期の本格的な洋風建築を簡単に目にすることが出来るのはやはり嬉しい。入ってすぐの場所は旧食堂で、左を向けば煉瓦造りの暖炉がある。その奥の小部屋は旧長女の部屋。今までの展覧会のカタログを閲覧でき、記念館の解説映像が流れている。植物の浮彫が為された木の椅子がいくつも並べられている。戻って常設展示として山本有三の生涯が解説されている旧応接間。こちらにも暖炉がある。常設展示は何度も眼にしているので、軽く目を通して上品な椅子が並べられた空間に目をやる。大豪邸じゃない、一家族が暮らした洋風の家。その空気を味わえるのがこの記念館の良い所で、それを感じたいが故に何度も足を運んでいる。

 

 階段を上がって2階へ。ここからがいよいよ企画展の展示となる。今回は「真実一路」の歩み。昭和10年(1935)から連載が始まった、山本有三の代表作である『真実一路』に関する展示。彼は家庭や家族をよく題材として取り上げ、『真実一路』もその一作だという。始め2つの展示ケースでは、家族を題材とした他の作品を説明と共に展示し、山本の家族観について解説していた。兄弟がいなかったのが、兄弟を題材として良く取り上げた動機ではないかという自己分析など。『波』において主人公が語った、子どもは親のものではなく「社会の子ども」であり、「人類の、宇宙の子ども」であると思想には興味を引かれた。曲解されると厄介な思想になりかねないが、無条件に肯定されがちな血縁関係を拠り所にできない場合に、一つの答えとして認められるものではなかろうか。今回の展示で挙げられていた作品を見ると、普通のうまくいった家族関係ではない家族を描き出したのが山本有三作品の特徴なのかもしれない。

 奥の展示ケースから、いよいよ『真実一路』の話へと入っていく。朝日新聞の文芸欄に作品を連載していく中、「第二の漱石」と銘打たれるほど声望を高めていた山本有三。そんな中、主婦之友社の編集局員の熱烈なラブコールで連載が始まったのが『真実一路』だという。大衆雑誌の「主婦之友」において純文学を連載し、しかも連載ページに広告を一切掲載しないという類例のない事態だったが、好評を博して作家の評価を高めることとなる。作品自体の質や作家の強さはもちろんあるにせよ、そこで通し切った雑誌社側の決断も素晴らしい。この話における雑誌側の人物の語ったことも良い。「読者にはホンモノを与えなくてはいけない。ホンモノさえ与えれば、読者はきっとわかってくれる」。

 ここの展示室でもう一つ面白かったのは、展示されていた都新聞の切り抜き。昭和11年(1936)3月13日の号で、山本有三が突然両目に斑点ができて物が見えなくなったという記事。ここで彼が語っていた内容が興味深かった。現代仮名遣いに改めて一部を引用する。「突然暗闇の世界につき落とされて私は始めて如何に耳で聞く日本語が難しいかを知りました。不便なのは日本語です。多くのやっと字が読める大衆の為に最も平易な常に使われる■粋(勉強不足で解読できなかったが、おそらく純粋か)の日本語、それがパパとかママとかでも良い、完全に同化された新語でもよい、私は新しい統一された日本語の仕様の為に仮令盲目になろうと此の余生を捧げようと考えています」。平易な文体での創作活動を進めた彼が、視覚を失って改めて自らの作品の意義を悟ったのではなかろうか。歩んできた人生が、後に自らに降りかかってきたような、そこで確かな実感を持って意味を感じられたような、そういう道を歩めたことの幸せを思った。

 

 次の展示室へ。ここは『真実一路』のストーリーの解説と、映画化された際の資料の展示。作品の内容について言及するのは避けるが、読んでみたいという思いは募った。登場人物の話を読んで生き方として感じ入ることが多そうなのは母親なので、映画に触れてみるのもよいのかもしれない。迷い悩もうと、各々が真実一路に生きていく話に、迷い続けて悩み尽きない身として大いに興味が湧いた。

  和室書斎の再現を軽く覗き、最後の展示室へ。間には、『真実一路』の挿絵を担当した近藤浩一路の作品が展示されていた。『真実一路』第1回目の連載に掲載された挿絵と同じ風景を描きとめた水墨画。画面の奥へと続く一筋の道。真実へと続く道であると信じたい。最後の展示室は山本有三の蔵書や鞄などが展示された、常設展の続きのような展示。前に来た時とは内容が変わっていたけれど。

 

 

 一通り展示を見て、記念館の裏に回って庭を見る。桜が咲いていた。桜の裏に竹が見える風景も珍しい。竹は山本有三が思い入れのあった植物だとか。久々にギャラリー以外で展示を見ることができて、幸せな時間だった。またいつか。

2月のまとめ

2月に行った展覧会まとめ

 

原宿ACG_Labo 原宿小林展
太田記念美術館 肉筆浮世絵名品展―歌麿北斎・応為
渋谷スクランブルスクエア KINGDOM HEARTS #繋がるハート展
國學院大學博物館 古物を守り伝えた人々―好古家たち Antiquarians―
Bunkamura Gallery 空想/Memories-過去と未来の物語-
Bunkamura Gallery GRAFFITI STREET ストリートアートの40年
ポーラミュージアムアネックス ポーラ伝統文化振興財団40周年記念展「無形にふれる」
Gallery Q 香港の不自由展
新宿マルイアネックス ヲタクに恋は難しい原画展
半蔵門ミュージアム 復元された古代の音
伝統芸能情報館 歌舞伎の四季
ぎゃらりー由芽 平塚良一展
ぎゃらりー由芽のつづき 小山正展
明治大学平和教育登戸研究所資料館 少女が残した記録―陸軍登戸出張所開設80年―
Bunkamura Gallery 版画と立体 言葉のいらない物語
Bunkamura Gallery 昭和ガレージボックス 高度経済成長時代に台頭したカウンターカルチャー-昭和40年代を中心に
世界のカバン博物館 2020 モチハコブカタチ展 新しい生活 それぞれの2WAY BAG
ラフォーレミュージアム原宿 矢後直規展「婆娑羅
pixiv WAEN GALLERY Tiv個展「emoTive」
アップリンク吉祥寺 Making of GON –ストップモーション・アニメーションの舞台裏-
渋谷マルイ 漫画家つくみず展~『少女終末旅行』から『 シメジ シミュレーション』へ~

 

諸事億劫な気分が続いてあまり行けず。登戸研究所資料館は行った記録が執筆途中で止まっており、ブログを始めた意味が失われつつある。いづれ公開するやもしれん。コロナでここまで美術館・博物館が休館になると思っていなかったから、3月もあまり行けないかもしれない。

 

 

2月に読んだ本まとめ

 

E.G.サイデンステッカー『谷中、花と墓地』
末羽瑛『Let it BEE!』
多田富雄『寡黙なる巨人』
出口きぬごし『天華百剣 -乱-』
中島京子『夢見る帝国図書館

ホセ・サナルディ『南米妖怪図鑑』
高橋典幸五味文彦編『中世史講義』
時田昌瑞『辞書から消えたことわざ』

 

あまり本も読まなかった。ずっと積読のままだった『中世史講義』をようやく読めたのは良かったが、読んで勉強不足を痛感、さらに色々な書籍に当たらねばと決意を新たにし、またまた読まねばならないと感じる本が増した。あまり小説は読まなかったね。

肉筆浮世絵名品展 ―歌麿・北斎・応為

 朝夜が寒くなってきたかと思えば、また暖かくなり出す冬らしからぬ東京の冬を過ごしている。暖冬のおかげで今年はまだ暖房を導入していないが、このまま春が来るまで持ちこたえられるだろうか。これまた日付が空いてしまったが、今回は1日(土)に訪れた太田記念美術館の話。

 

 葛飾応為の『吉原格子先之図』が出展されるとのことで、ウェブ版美術手帖で宣伝を見て以来ずっとマークしていた展覧会だったが、気づけば会期が終わり(9日まで)に近づいていたのに気づき急いで行くことに。ついでに渋谷・原宿エリアで展覧会をいくつかチェックし、まとめて巡ることに。原宿へ降り立ち、行程の都合から原宿ACG_Labの原宿小林展「創造の迷図」にまず向かう。原宿駅のこの木造駅舎をここで目にできるのはもう長くないんだね。小林誠のメカデザイン原画や空想の都市図に感動しながらあっさりと原宿ACG_Labの展示は流し、太田記念美術館へ。

 

 

 太田記念美術館に到着したのは13時40分頃。土曜日なのもあってか、結構混んでいる。入館料の700円を支払って入館。まずは入って左手の畳敷きのエリアから。靴を脱いで畳の上で作品を鑑賞するスペースを取っている美術館は他に知らない。畳の上でじっくりとくつろぎながら鑑賞できれば最高なのだが、混雑していて普通に鑑賞するのとそこまで変わらない気がする。

 最初に展示されているのが葛飾北斎の『雨中の虎』、その隣に葛飾応為の『吉原格子先之図』が展示されていて驚いた。今回の展覧会の目玉と言える2作品じゃないか。最初からクライマックスな構成だ。『雨中の虎』は北斎が没年に製作した作品で、虎と言うには少し奇妙な虎が描かれている。胴体に比して首も足も長い。面貌も恐ろしさよりは可愛らしさに近い物を感じた。身体を捻って宙を睨むその先には、この作品と対幅であるギメ美術館蔵の『龍図』の龍がいるらしい。

 隣の『吉原格子先之図』の前へ来て作品を鑑賞する。想像していたよりは小さな絵だった。煌びやかに賑わう世界とそれを外から眺める人々の世界の格差が、光の明暗でくっきりと分かれているのが素晴らしい。今ほど夜が明るくない江戸の世で、夜も無く煌めく場とそうでない場の差は大きかったんじゃないか。昨年は朝井まかての『眩』を読み、東洋文庫北斎展を見た。今回のこの展覧会で、北斎―応為のマイブームがキリのいい所へ来た感じがする。すみだ北斎美術館でも今展覧会やっているんだけどね。『吉原格子先之図』を目にできたのがそれだけ嬉しかった。

 畳エリアの最後の作品は喜多川歌麿の『美人読玉章』。吉原遊郭の遊女が恋文を読む姿を描いた作品。良い作品だとは思うのだが、浮世絵の中でも美人画に対する興味が薄いため、前2作ほど惹きつけられることは無かった。この3点で畳の上での鑑賞は終わり。見始めたところで、職員の方がガラスの曇りを必死に拭っていた姿が印象に残った。

 

 ここからは時系列に沿って浮世絵が陳列されていた。最初はⅠ:初期浮世絵時代の絵師たち。彩色の無い水墨画岩佐又兵衛『小町図』に始まり、菱川師宣、菱川師房の作品が続いていく。風景画が少ないな。古山師重『隅田川両国橋之景』ぐらいだ。初期には少ないのか、コレクションとしてあまり持っていないのか、展示として魅せていく際に美人画を重視したのかどれなのだろう。

 興味を引いたのは奥村政信『団十郎高尾志道軒円窓図』。歌舞伎俳優の団十郎、名妓の高尾、講釈師の志道軒の3人の顔が、丸い画面の中に描かれている。大きく目を見開いた団十郎、いかにもな浮世絵美人の高尾、目を細めてにやりとした表情の志道軒と三者三様の顔をしている。当代のスターが一堂に会した作品と言ってよく、それぞれの職業イメージというか雰囲気が感じられるのが良い。

 

 Ⅱは錦絵誕生から天明・寛政の絵師たち。鈴木春信の『二世瀬川菊之丞図』から始まった。鈴木春信の数少ない肉筆画だそうだ。非常に細長い画面が印象的。この作品と礒田湖龍斎の『雪中美人図』を鑑賞して2階へ上る。

 2階に来て画面全体の彩りが一気に増した感じがした。色世界が広がったというか。階段を上がってすぐの所にあったのは北尾重政『美人戯猫図』。着物姿の女性が、猫に繋がれた紐を引いている絵画。ひっくり返った猫の姿が良いな。紐と言っても、画中では細い白い線がまっすぐ伸びているだけだから、糸のように見えなくもない。

 次に展示されていた勝川春章『桜下詠歌の図』が絵として面白かった。満開の桜の下、短冊に和歌を認める若衆と、それを花見幕から覗く多くの女性を描いた作品。花見幕の上に女性の顔だけ多く描かれているため、『美人戯猫図』を鑑賞しながら横目でこの作品を見た際、女性の生首がずらっと居並ぶ様子に度肝を抜かれた。キャプションを読んでなるほどこういう作品なのかと納得したが、それでも異様な光景だ。若衆の供がふんどし姿で正座しているのが手前に描かれており、尻丸出しの姿が否応なく目につくのも滑稽だ。何も知らぬは若衆のみ、世界は馬鹿さで溢れている。技法的な話では、幕の切れ目から着物の色が覗く趣向になっているらしいが、画面全体の面白さが個人的には全てだった。

 あと印象的だった作品を数点挙げよう。鍬形蕙斎の『桜花遊宴図』は、画面を斜めに桜の木が貫いており、桜の木の上から画中世界の盛り上がりを眺めているような見下ろした構図。浮世絵は横から世界を眺める構図の印象が強く、こういう立体的に上から見る構図は珍しい。何というテーマでもないが、喜多川月麿の『美人花見の図』には思わず笑ってしまった。女性5人の花見道中を描いた作品だが、現在のおばさん達の遠足だよなあと思うとおかしさが込み上げてしまった。いつの時代も変わらないものだ。最後に窪俊満の『雪梅二美人図』。色彩がほとんど用いられない、濃淡墨で描かれた作品。女性が持つ傘の色の乗らないのっぺりさが心に残る。降り積もった雪の表現だろうか。

 2階に上がってから、壁に展示される作品群と通路を挟んで置かれていたショーケースには絵巻物が展示されていた。ここは特に印象にも残らなかったので割愛。

 

 Ⅲ:文化・文政から幕末・明治の絵師たちに移る。歌川広重葛飾北斎の作品が満を持して登場した。印象に残った作品をいくつか挙げていく。歌川広重の『日光山裏見ノ滝』。滝の裏側から滝を見る旅人が描かれている。こういう裏見が今でも出来る場所はどこかにあるのだろうか。一度見てみたいところだ。それに限らず、また滝を見に行きたいな。

 河鍋暁斎の『達磨耳かきの図』は、耳かきされている達磨の表情が良い。くすぐったいような、場面を覗かれた恥ずかしさのような、それでも威を保とうとしているような、厳しくはない何とも言えない表情。

 月岡芳年の『雪中常盤御前図』。画面の背景と同化したような着物や笠に、雪の強さを感じさせる作品。たなびく木は風の強さを感じさせ、常盤御前の厳しい道行を伝える。雪のことばかり書いているな。

 あとは小林清親『開化之東京両国橋之図』。最後の最後で浮世絵っぽさが薄れた新しい時代な絵だ。両国橋や行きかう人々、渡る舟を黒いシルエットでまとめ、提灯の灯りがぼんやりと燈っている絵画。縦長の画面で、両国橋を下から仰ぎ見る構成となっている。国立劇場で12月に観た歌舞伎の『蝙蝠の安さん』を思い出した。チャップリンの『街の灯』を歌舞伎に脚色した作品で、主に物語が展開される場所が橋だ。主人公のその日暮らしの蝙蝠の安が暮らすのは橋の下、身投げする裕福な商人を助ける場も橋、花売り娘と運命の出会いを果たすのも橋。夜の暗くなった橋で展開される劇で、ちょうど橋の下から見上げるこの画中世界が、この劇を思い起こさせる。

 

 Ⅲが始まる辺りのショーケースまで戻り、Ⅳ:扇の名品―鴻池コレクションを見る。歌川豊春『常盤御前』を見て、おお月岡芳年と同じ主題だと見入ってしまった。こちらは降る雪の中に座っている構図。

 

 

 という感じだった。風景画や名所画などがあまりなかったのは、肉筆浮世絵の範疇ではなく版画浮世絵の範疇なのだろか。美人画にそこまで興味がそそられず、それらの作品の前では着物の煌びやかさだけを眺めて終わってしまったのはやや残念。クライマックスが最初に来てしまい、どうなるかなと思っていたが、知らない画家や作品で食指が動き、全体として満足度が高い展示だった。欲を言うともう少し空いている時に来たかったがまあ仕方ない。ではまたいつか。