8月のまとめ

8月に行った展覧会まとめ

 

小金井市文化財センター
Meets by NADiff Wall Gallery 児嶋啓多「Augmented / Words in the City」
板橋区立美術館 館蔵品展 狩野派学習帳 今こそ江戸絵画の正統(メインストリーム)
に学ぼう
板橋区立郷土資料館 伝統工芸展「甲冑刀装 甲冑師・刀剣柄巻師・白銀師のあゆみ」
Bunkamuraザ・ミュージアム アンコール開催 ニューヨークが生んだ伝説の写真家 永遠のソール・ライター
東京都写真美術館 森山大道の東京 ongoing
GYRE GALLERY ヒストポリス:絶滅と再生展
上野の森美術館 上野の森美術館所蔵作品展 なんでもない日ばんざい!
アトレ秋葉原 何とな~くコスパの25年がわかる!展
秋葉原UDXギャラリー とら祭りUDX特設会場出張所
NTT技術史料館
府中市美術館 児玉幸子 脈動―溶けるリズム
國學院大學博物館 モノで読む古事記
ラフォーレミュージアム原宿 ヤングマガジン 40th ANNIVERSARY in Laforet HARAJUKU
青山ブックセンター 『フォーゲット・ミー・ノット』刊行記念岡藤真依イラスト展
NANZUKA 2G HAROSHI「HAROSHI FREE HYDRANT CO」
3.5D CONNECTED OVER THE DIMENSION

 

 

感想記録に無気力になり、ただの月記録と化している。今月のハイライトは、3時間歩くと東京では結構な距離を移動できることを実感したこと。家から美術館まで3時間歩いてみた。うだるような暑さの中3時間歩いたのは正気の沙汰では無かったが、数時間歩けばそこそこの範囲を徒歩圏内として処理できるのがわかったし、これから歩くに悪くない気温になっていくだろうから、運動がてら歩きまくろうかな。

 

 

8月に読んだ本まとめ

 

蒼山サグ『ぽけっと・えーす!』1巻
赤松中学チアーズ!』6巻
石原燃『赤い砂を蹴る』
ナオミ・オルダーマン『パワー』
サラ・クロッサン『わたしの全てのわたしたち』
ニコライ・ゴーゴリ『鼻』
島崎藤村千曲川のスケッチ』
つかこうへい『蒲田行進曲
野﨑まど『タイタン』
野島一人『デス・ストランディング』上・下
八奈川景晶『バトルガールハイスクール』PART.1・2

芸術新聞社編『神業の風景画-ホキ美術館コレクション-』
原田マハ、高橋瑞木『現代アートをたのしむ―人生を豊かに変える5つの扉』

 

 

相変らず興味が湧いたのをメインに、何冊か図書館で目についた物を読んでいる。『パワー』、『わたしの全てのわたしたち』、『タイタン』、『デス・ストランディング』が今月読んだ中では面白かった。女性が電気を発する力を得て男女の力関係が逆転して行く社会変動を歴史小説という体で描いた『パワー』。結合双生児の2人の生活と想いの揺らぎを詩文調で記した『わたしの全てのわたしたち』。万能AIが社会運営を担うようになり、人々が仕事から解放された社会で、そのAIが不調となったことに始まるカウンセリングと騒動を軸に、仕事とは何かを描いた『タイタン』。死者がこの世に現れ、外に出ることが基本的にできなくなったアメリカで、人々を繋ぐネットワークを結ぶ主人公を描く、人気ゲームのノベライズ作『デス・ストランディング』。 簡単な紹介ながら、興味を持った物があれば読んでみてください。

 

7月のまとめ

7月に行った展覧会まとめ

 

ユミコチバアソシエイツ デイヴィッド・シュリグリー / 金氏徹平
Bギャラリー 原田和明展覧会「話せば短くなる」
ミヅマアートギャラリー 加藤愛(愛☆まどんな)展「ひあたりのわるいへや」
国立公文書館 競い合う武士たち-武芸からスポーツへ-
青山|目黒 ハイリスク/ノーリターンズ−南米現代美術のゲリラ戦術
pixiv WAEN Gallery PIXIV GIRL X GIRL COLLECTION 2020 MARGUERITE
Akio Nagasawa Gallery Aoyama 小畑多丘「Opposite Effects」
ほぼ日曜日 ア・メリカさんの描いた『MOTHER』の絵。
リベストギャラリー創 きたがわ翔原画展2020 ノスタルジア
クロネコヤマトミュージアム
世田谷美術館 作品のない展示室
pixiv WAEN GALLERY saitom個展「Castle On The Hill」
NANZUKA 2G 田名網敬一「記憶の修築」
VOID 朝倉世界一個展「SPECTER」
TAV GALLERY ノアの安産祈願展
座・高円寺 「公共建築はみんなの家である」展~伊東豊雄の4つの公共建築~
旧新橋停車場 鉄道マンの仕事アルバム 鉄博フォトアーカイブ
ギャラリーてん 世界の郷土料理展 300カ国・地域の食から知る美しき多様性
Yuka Tsuruno Gallery 松川朋奈、山谷佑介「OBJECTS IN MIRROR ARE CLOSER THAN THEY APPEAR」
児玉画廊 大久保薫「ろ過装置」
KOTARO NUKAGA 石塚元太良「Gold Rush California/NZ」
ブックマーク浅草橋 絶園のテンペスト生誕10周年記念原画展
Meets by NADiff Wall Gallery 風能奈々「祈りに似たもの」
西武渋谷店 Meguru Yamaguchi -HIGHER SELF-
武蔵野ふるさと歴史館 武蔵野の地名
調布市文化会館たづくり クリエイティブリユースでアート!×富田菜摘「ものものいきもの」展

 

 

展覧会記録を何も残さなかった7月だが、初めましての場所が少なくなかったので色々書くべきだった。一度書かない選択肢を選んでしまったのがよくない。今月頭に開館したばかりのクロネコヤマトミュージアム、実はいまだに行ったことが無かった世田谷美術館、展覧会もさることながら建物に驚いたTERRADA ART COMPLEX。予約不要で入館無料な品川のクロネコヤマトミュージアムに是非行ってみてください。感染者数がどんどん増えていく中、また施設が閉まらないかどうかをひたすら心配している。

 

 

7月に読んだ本まとめ

 

哀川譲俺と彼女が魔王と勇者で生徒会長
一色さゆり『神の値段』
入間人間やがて君になる 佐伯沙弥香について』3巻
小川洋子ブラフマンの埋葬』
澤田瞳子能楽ものがたり 稚児桜』
白鳥士郎りゅうおうのおしごと!』12巻
涼元悠一planetarian~ちいさなほしのゆめ~』
二月公『声優ラジオのウラオモテ』2巻
グードルン・パウゼヴァング『片手の郵便配達人』
原田マハ『<あの絵>のまえで -A Piece of Your Life-』
吉村昭『冷い夏、熱い夏』

大山エンリコイサム『ストリートアートの素顔 ニューヨーク・ライティング文化』
芸術新聞社監修『現代彫刻アンソロジー
筒井清忠編『昭和史講義【軍人篇】』
不動まゆう『灯台はそそる』
山田雄司編『忍者学講義』
渡辺由佳里『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』

 

 

ひたすら読みまくってやると一時思い至ったものの、心の弱さから存外読めなかった。読んだ分を咀嚼して自分の中に意義ある形として残していけているのかという疑問も絶えず、数だけ積んでも意味は無いよなと、いつもより読む数を増やしてみて痛感した。全部が全部、スナック菓子を貪る瞬時の快楽みたく消えていってそうな恐ろしさがある。ともあれ、8月以降も読書する習慣自体はずっと持ち続けたい。

6月のまとめ

6月に行った展覧会まとめ

 

吉祥寺美術館 土田圭介鉛筆画展 心の旅 モノクロームの世界で描く心のカタチ
武蔵野ふるさと歴史館 かたちの中の記憶
アップリンク吉祥寺 pascALEjandro Alchemical Love
スパイラル タナカマコト展 「タダのカミ様」
MAKI GALLERY マンゴ・トムソン「Archives」
FL田SH 星拳五「転がる器のメタモルフォシス」
原宿ACG_Labo 羽山淳一展~アニメーターズ・スケッチ(バトルキャラクター編)発売記念~
GYRE GALLERY ヒストポリス:絶滅と再生展
DIESEL ART GALLERY GUCCIMAZE個展「MAZE」
NANZUKA 2G 横山裕一
NANZUKA ダニエル・アーシャム「Relics of Kanto Through Time」
渋谷マルイ TVアニメ『BNA』の世界展~TRIGGERのDNA~ in 渋谷マルイ
東京都渋谷公園通りギャラリー フィールド⇔ワーク展 日々のアトリエに生きている
BLOCK HOUSE 青木美紅初個展「zoe」
銀座メゾンエルメスフォーラム 「コズミック・ガーデン」サンドラ・シント展
銀座蔦屋書店 井田幸昌作品集刊行記念「Crystallization」
銀座蔦屋書店 品川亮個展「Nature’s first green is gold,」
日本橋三越本店 梅津庸一キュレーション展「フル・フロンタル 裸のサーキュレイター」
吉祥寺美術館 アール・ブリュット2020特別展 満天の星に、創造の原石たちも輝く-カワル ガワル ヒロガル セカイ-

 

 

いっぱい行っているように見えるが、往時に比べると少ないし、大きめの展覧会には行けていない。4~5月に餓えていたのもあってか、多くの展覧会を興味深くじっくりと鑑賞することができたのは良かった。来月はぐるっとパスも導入して色々見て回りたいところだが、まだ閉館が続いている場所や予約制の場所も多いので、どうなるかはやっぱりわからない。

 

 

6月に読んだ本まとめ

 

池田明季哉『オーバーライト―ブリストルのゴースト』
一色さゆり『ピカソになれない私たち』
川越宗一『熱源』
二月公『声優ラジオのウラオモテ』
林真理子『綴る女―評伝・宮尾登美子
まはら三桃『鷹のように帆をあげて』

 

図書館が開館して色々借りられるようになって借りまくったはいいが、気持ちが読書に傾かずに借りた本が何冊も積読となってしまった。そんな微妙な気分の中でも、川越宗一の『熱源』はタイトル通りの熱を感じさせる面白い一冊で、夢中になって読み切った。サハリンとその地の少数民族の話が沼野充義最終講義とリンクし、民俗学的に調査して文化を残していく話は、数年前から毎号読んでいる『月刊みんぱく』と噛み合って、自分の興味にストライクだった。『オーバーライト』はグラフィティという最近の個人的関心がラノベという媒体で表現された面白い作品で、『ピカソになれない私たち』は美大での美術教育やアーティストの卵がどう自らを出していくかを描いた点で興味深く、読みたくて読んだ小説が今月は多かった。普段は図書館の本棚からてきとうに取って読むのもしばしばなので。来月は小説に限らず、小説も興味外の物含めて色々と読んでいきたい。

展覧会巡り2020年6月24日

 春らしからぬ自粛気分の日々が過ぎ去り、完全に元通りとまではいかないまでも文化的な生活を外出して楽しめる社会がある程度戻ってきて数週間。慣れてしまった閉じこもり生活から心が戻り切らず、動き出す社会に戸惑いを隠せないものの、実際の展示スペースに足を延ばし、空間として展覧会を味わえるようになったのは嬉しい話だ。まだまだ美術館や博物館は閉館中の所もあるが、この事態で崩れ切らずに存続してくれることを願う。

 興味のままに時間の許す範囲で色々回っている割に、博物館での1つの展示についての記録だけ残していくのももったいないような気がしてきたので、今回はあちこち彷徨った昨日の一日の記録を書いてみることにする。これからはこういうのも書いていこうかな。

 

 

 

 ダニエル・アーシャム「Relics of Kanto Through Time」

 まずは渋谷のギャラリーNANZUKAの展示から。NANZUKAに訪れたのは春に開催された空山基の新作展が初めてで、今回が2度目の来訪になる。「Fictional Archeology」をコンセプトに作品を創り出す現代アーティストの展示で、株式会社ポケモンが現代アーティストとコラボしたアートプロジェクトはこれが初めてらしい。

 西暦3020年に発掘したポケモン赤・緑の世界を再現したとのことで、展示会場にはポケモンの化石のような作品が何体もいた。所々朽ちて体内の鉱石の結晶が見えていて、そこに発掘物としての存在感を覚える。今ではポケモンは900種類近くいるんだったか。その中で、カメックス、プリン、イーブイなど、初代の自分がなじみ深い世代のポケモンが立体作品として表現されていることに懐かしさに胸がいっぱいになる。展示されていたポリゴンを前に思わず考え込んでしまった。人工物のポリゴンの化石化はこんな感じなのだろうか?錆びて動かなくなった機械のような何かが化石という道を辿れるのだろうか?機械生命体って化石になるのかな?そして、ポケモンカード第1弾のカメックスと英語版リザードン。パックを買って遊んでいたのは何年前だろうか。考古遺物の石版と化したポケモンカード遊戯王を思い出した。

 作品として楽しんだのもあるが、自分がポケモンという作品に触れて過ごした時間の懐かしさが、考古的発掘物という懐古的な立体作品により、相乗的に呼び覚まされた面白い時間を過ごした。二次元世界として触れてきた作品が立体化されて風化して行く(ように見せられる)ことによって、感じないようにしてきた作品内で流れゆく長い長い時間の果てを想起させられたのも興味深い。何か想像をめぐらせたところで、作品設定に無い場合に、事物が化石化するほどの未来を思い描くことは普通は無い。そこまで先になると作品と同一の世界を保っているかもわからないが、作品世界は観測者たる我々が目を向けなくとも滅びゆくまで続いていくはずで……ということを考えていた。ポケモンはそもそも化石が作中で登場し、それを復元する世界観だけど。

 

 

 「TVアニメ『BNA』の世界展~TRIGGERのDNA~ in 渋谷マルイ」

 こういうアニメとか漫画とかの小さな展示を探すのに便利なサイトが欲しい。以前に渋谷マルイで展示を見た記憶から、今何かやっていないだろうかと調べた結果見つけたので行くことにした。事前予約制でNANZUKAに来る以上渋谷に来るのは確定で、同じ渋谷ということでついでに回ることに。

 『BNA』は中盤ぐらいの話を観て興味を持ったのだが、あまり触れていないのでそこまでアニメカットを観ても感慨が無い。というか、TRIGGER作品に全然触れていなかったのを展示を見ていて思う。『SSSS.GRIDMAN』ぐらいじゃなかろうか、結構観ていたのは。舛本和也『アニメを仕事に! トリガー流アニメ制作進行読本』は読んだのだが、肝心の作品を観ていなかった。何か観ようかな。あっさりと流して終わる。

 

 

 「フィールド⇔ワーク 日々のアトリエに生きている」

 渋谷で展覧会をやっている場所を探した果てに、オープンしてからまだ行っていなかった東京都渋谷公園通りギャラリーへ。地図を片手にうろうろしていたが、入口がわからず一度は過ぎ去ってしまった。この日初めての検温を受付で済ます。平熱より低い温度が示され、この方式でいいのかと思わずにいられなかったが、まあ検温したという事実が大事で、明らかな体調不良者を弾けるならいいのだろう。

 受付横にある展示室、受付脇のスペース、少し離れた所にある展示室の3ヶ所で作品を見る。個々の作品にさしたる思いを抱きはしなかったが、作品と共に展示された作り手達を写した写真群は、完成物がドンと置かれてそれ自体生まれて存在していたかのようにともすれば思ってしまう美術作品が、人の手で作られた物なのだという当たり前の事実を思い出させてくれた。展示空間に存在している作品は、作品それ自体にアーティストというタグ情報が付されて初めから在ったようにある訳じゃないのだと。作品は作品、人は人として分かたれた物じゃないというか。そんな実感を得て早々に出た。

 

 

 青木美紅初個展「zoe」

 原宿の方へと北に歩いて行く。コンビニの脇の路地を入っていき、初来訪となるBLOCK HOUSEに到着。手前の道路では写真撮影らしきことが行われていたが、単なる個人撮影なのかもしれない。

 地下の展示室に入ると、刺繍人形が目に入る。人工授精で産まれたというアーティストが、世界初の人工授精を成功させたというジョン・ハンターを題材に、ハンタリアン博物館を訪れた経験を基に作り出した展示空間。最近、GYREで未来的なバイオアートの展覧会に行ったのもあり、生命意識に触れたくて今回来てみたかった展示だった。

 ハンタリアン美術館の展示空間を許可の下で再現したものらしい。6本足のシカなど奇形の生物の写真があることに近代の医学に思いを馳せる。人工授精を初めて成功させたジョン・ハンターの時代から、今の生命技術は本当に遠い所へ来てしまった。建物の4階にある展示室にも足を踏み入れ、まず視界に入ったサインポールにDNAと生命を感じる。生命という文脈があるだけで、サインポールは二重螺旋へと姿を変えるのだと、この時初めて気づいた。展示を見たのかという感想になるが、この部屋の壁に書かれていた、サインポールと瀉血の関わりが展示全てで一番興味を惹かれた物だった。血を抜く瀉血は民間医療として、ローマ法王に禁じられつつも床屋で行われ続けたこと。それは近代医学を進めたジョン・ハンターが止めるよう訴えても続いたと。サインポールは瀉血の際に血流を良くするべく患者に握らせた棒であると。そんな民間医療の体現物が今なお街中で動き続け、そしてDNAという命の形をそこに見てしまうという事実に驚愕していた。永遠の命をハンターは追い求めてある時挫折したという。生命という物への意識が禁忌から離れつつある今の時代、ハンターは何を思うだろうか。最後に、刺繍というメディアは何か紡ぎだす感じがして、それが生命なのが今回の展示だったのかなとふと思って場所を後にした。ハンタリアン博物館のような、あからさまなモチーフ元の無い展示を次は見てみたいな。

 

 

 「コズミック・ガーデン」サンドラ・シント展

 表参道ヒルズで展示を見る予定だったが、気が変わってスキップし、目黒駅で降りて図書館に立ち寄り、山手線で回って有楽町駅へ。ある程度周るルートを決めておくと都区内パスは便利だ。1度訪れた記憶を元に道に迷うことも無く銀座メゾンエルメスへ。いつもは店内エレベーターの利用で展示場へ行くことになるが、コロナ情勢下のために店外のエレベーターに乗る。展示を見ることだけを目的にしている以上、わざわざ店内に入りたくないので、ポストコロナ時代にもこの状態は続いてほしい。

 エレベーターを降りて正面の展示説明を読み、振りかえって息を呑んだ。説明で意識が左右されていたのもあるが、壁に広がっていた青の世界に見入っていた。青々とした地の画面に白い点が飛び散り、ヴェールのような梯子のような白い線が舞っている。飛沫が飛ぶ荒れた海原のような、星が点々とする空のようだ。自然に満ちた風景を目の当たりにして、感動する感覚に包まれていた。置かれていた長椅子に座り、画面を見る。晴れた日に原っぱに寝っころがって空を見て、流れゆく雲を眺めているような気分。しばしその時間を堪能し、入り口から右側の画面を見た後は引き返して左側の画面へ向かう。こちらは黒い地に白い*や散りばめられ、白い〇がいくつか描かれた物で、宇宙を思わせる。奥に靴を脱いで上がる空間が広がっていたが、黒いクッションはコロナ対策ということで使わせてもらえず。このクッションに寝そべり、宇宙の中に自分がいるのだと展示を実感することができれば最高だったのだが。何かを考えようとして、でも何も出てこなくて、ただ自分が矮小な何かだというチクっとした痛みを感じてエレベーターを降りて行った。

 

 

 銀座蔦屋書店

 GINZA SIXに入ると、天井から吊るされた中央のインスタレーションに自然と目が行く。吉岡徳仁の『Prismatic Cloud』を眺めながら、エスカレーターで上の階へ進んでいくこと数階分、とりあえず何か展示をやっているだろうということで立ち寄ることにした銀座蔦屋書店にたどり着く。

 外から見ても何かやっているのを察し、よくわからないながらに井⽥幸昌作品集刊⾏記念「Crystallization」を見た。特装版は描き下ろされた作品を200分割された物が表紙となっており、分割前の原作品を目にできるという趣旨の展示らしい。寡聞にして知らない方なのでさっと見ては通りすぎ、出た所にあるコミック売り場のラインナップを確認する。コミックのラインナップが銀座らしさとは何かを表している気がして好きだ。いかにもなオタク感が脱臭された感じが、自分が足を向ける他の場所ではあまり見ることが無くて新鮮で面白い。

 THE CLUBのライアン・サリバン個展に行こうとして、事前予約制なのを見て断念。一日の行程を組む段階で予約するべきだった。スターバックスの脇でやっていた品川亮個展「Nature’s first green is gold,」を見る。日本画らしい画面の中に、日本画とは離れた大胆な筆触の花が咲いていて、ミスマッチなようで馴染んでいるけど違和感をそこはかとなく感じる作品が、今の絵画として出していく一つの手段なのかなと。美術を見るよりは書店を楽しむ時間の方が長かった気がする。

 

 

 梅津庸一キュレーション展「フル・フロンタル 裸のサーキュレイター」

 時間があればgggで「TDC 2020」を見る予定だったが、時間が無かったので駅へ向かう。神田駅へ移動し、日本橋三越本店まで歩く。移動距離がそんなに変わらないだろうから、道がわかりやすい東京駅から歩く方がよかったかなと方向音痴な身として思いつつ歩いていた。東京駅周辺は何度も歩いたことがあるが、神田駅近辺は不案内だ。危惧していたほど迷うことなくあっさりと到着。中央ホールの『天女像』をじっくりと見たのは初めてだ。何度か来たことがあるはずだが、エレベーターにすぐに乗ってしまうので目玉のこの作品をあまり目にしたことが無い。像を正面にすると、百貨店といういかにも豪奢な空間に身を置いていることを感じ、自らの場違い感を覚える。百貨店で展示を見る時はいつもこの場違い感と戦っている。

 何階にギャラリーがあるかきちんと覚えていなかったので、エスカレーターで階ごとに案内を確認しながら上って行く。微妙な入りづらさに臆さず、コンテンポラリーギャラリーに入っていく。展示の案内を受け取り、作品前に説明を読むか……と読み始めたところで、情報の物量に圧倒され、内容的に展示見ないとわからないなと察したので作品を鑑賞する方に意識を集中する。いわゆる既存の美術批評の文脈上の整然とした配列ではなく、造形にフィーチャーして作家性や作品を見て行こう、そのために色々並べるよという展示とざっくりと把握し、作品を眺めていく。個々の作品名がそれとすぐにわかる形で配置されていない。章立てごとの説明キャプションの情報も読んで頭に入ってこない。何だかわからないことだらけの中で、順番に作品を見て行くが、鑑賞というほどに至っていたかどうか。とっかかりのある美術作品ではない、よくわからない不気味さすら感じ得る空間の中で、唯一安心感を覚えたのが見覚えのある麻田浩の作品であり、それが自分にとってのこの展覧会の第一印象に終わった。また伺う機会があれば、展覧会以上に個々の作品に向き合っていければいいのだが、今週末で終わってしまうのでおそらく再訪機会はない。

 

 

 

 タイムスケジュールをきちんと組んでいれば、もう少し回ることができたのだがまあ仕方ない。癒しを得られたかはわからず、美術が好きで真摯に見ている訳でもないが、それでもこういう一日を過ごしたくなる気分が時たまやってくる。博物館もまた行きたいね。またいつの日か。

5月のまとめ

5月に行った展覧会まとめ

 

 

 

 

とうとうどこにも行かなかった。開いている場所がかなり限られていたのもあるが、余裕が無かったのも大きい。緊急事態宣言が解除され、6月1日から開館を発表している施設も出てきたが、行けるかはちょっとわからない。予約制というのもあるし。現況で一番嫌なのは、方々が閉まっていること以上にマスクの着用が社会義務になっていることだと過ごしていて気づく。マスクを長い時間着けているのが嫌いだ。

 

 

5月に読んだ本まとめ

 

シュトルム『みずうみ他四篇』
田丸公美子『パーネ・アモーレ イタリア語通訳奮闘記』

飯間浩明『小説の言葉尻をとらえてみた』
葛西聖司『教養として学んでおきたい能・狂言
立石泰則『ソニー最後の異端―近藤哲二郎とA3研究所』
吉村昭三陸海岸津波
河出書房新社編『わたしの外国語漂流記 未知なる言葉と格闘した25人の物語』

 

 

引き続き積読消化月間。プレゼント企画に応募したら能・狂言の本が当たった。家に小説があまり無いことに気づいた月だった。その中で、数少ない未読というか全篇読んでいなかったのがテオドール・シュトルムの短篇集で、失われた在りし日々を想い起こさせる各々の作品は今の日々に大きく響く。図書館の予約・貸出機能が来月から復活するので、使っていけるといいな。実はまだ諸施設閉鎖前に借りた図書館資料を消化しきれていないのだが、読み切れるだろうか。

4月のまとめ

4月に行った展覧会まとめ

 

家具の博物館

 

 

本当に1ヶ所しか行かなかった。行きたいと思っていた展覧会も、美術館がほとんど閉館している状態の中、行かず仕舞いのままいくつか会期が終わった。百貨店の類も閉まり、ギャラリーも閉まり、そもそも家にいろという空気が強く、家の周囲をうろうろするだけで行ける場所も無かった。オンライン展示企画をやってくださる館はありがたいのだが、展覧会はその場に身を置いてこその全体芸術だと思っているので、やっぱり求める物とは少し違うんだよな。何かを見たいからというだけじゃない。GWが明けようとも情勢は大きく変わらないかなあ。また色々見に行ける日がまた来ることを願っている。

 

 

4月に読んだ本まとめ

 

カウテル・アディミ『アルジェリア、シャラ通りの小さな書店』
虚淵玄鬼哭街
横山秀夫出口のない海

大久保利謙『日本近代史学事始め―一歴史家の回想―』
池上俊一『パスタでたどるイタリア史』
池上俊一『お菓子でたどるフランス史
酒井順子『女を観る歌舞伎』

 

 

図書館が利用できないので、必然的に積読消化月間となった。買ってから放置し続けてきて数年ぶりに開いた本を何冊か消化できたのはよかったが、無気力が高じたり、ゲームに時間が吸われたりして大して冊数を読めなかったのが恥ずかしい。家の中を漁った結果、小説を買う習慣が無いことを自覚した。そして、今は無性に小説を読みたい。近傍の図書館の6月までの閉館が決定したため、この状況は当分変わるまい。依然として数の多い積読を消化していくとして、失われていく活力をどうにかせねば。

家具の博物館

 緊急事態宣言が発令され、美術館・博物館は当たり前にどこも閉まってしまった。図書館も予約資料受け取りすらダメになり、そもそも家から出るなというのがスタンダードな世情、なんだかんだで外歩きが好きな身としては辛い物がある。まあそれでもなお、1日に1時間ちょい歩く散歩はたまにするんだが。今回はそんな緊急事態宣言前夜の4月7日(火)に訪れた家具の博物館の話。

 

 立川駅から分かれる枝の一つ青梅線。立川から3駅の中神駅に着いたのは13時40分頃。乗車段階で青梅線方面の電車が来てくれてよかった。降りたのは初めてだ。改札を出ると、「あきしまくじらのあんないばん」と銘打たれた、昭島市の地図が載ったクジラの地図が目に入る。昭島はあまり馴染みが無いな。駅の外へと繋がる階段の脇には、中神工業団地案内図があった。なるほど、この辺りが東京の工業エリアなのか。グリコ乳業敷島製パンの工場を地図の中に見つけ、今なお人が集まって稼働しているのだろうなあ。閑散とした街中を歩くこと数分程、フランスベッドの大きな工場敷地を眼前に、脇の入り口から建物へと入って行く。今日の目的地、家具の博物館だ。

 

 

 入口でアルコール消毒をして入館。入館料の200円を支払い、チケットと館内パンフレット及び博物館だよりをもらう。後で確認したら、博物館だよりは4号分もいただいていた。ありがたい話だ。受付の正面に鎮座していたクラシカルなソファが印象的。

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博物館だより4号分と衣裳ダンスの写真が載った入館チケット

 そのまま直進して展示に入っていく。初っ端から木材標本に触れられる展示コーナーから始まった。コーナーの上に貼られた木の名の漢字で埋まったシートを軽く眺め、段の上から木材標本を順々に手に取って触っていく。漢字シートは半分ぐらいは読めたが、見たことすらない字もいくつかあった。印刷されたプリントをもらって漢字への意識は早々に追い出し、木の重みを、肌触りを、色合いを感じていく。木にも家具にも詳しくないので、それぞれの木材の特性を新鮮に感じる。クリやニレは軽い。あった中ではキリが一番軽い。マホガニー、ラワン、チークなど、漠然と名前だけしっている木材にも触れ、最後にコクタンの重さを感じる。導入から結構楽しんでしまった。まだ家具を見ていない。

 このコーナーでは、木の名の漢字の横に貼られていた、木に関する言い伝えのシートも印象深い。センダンは棺桶にする木なので忌む。ツバキは首が取れるように花が散るなどの理由から道具の材料とするのを忌む。 エノキは神が宿るなど、凡俗に過ぎた木なので、伐って用いると貧乏になる。囲炉裏の炉縁をナシの木で作るのは、四ツ木梨、すなわち世継ぎ無しに通じるのでならぬ。民間の言い伝えは面白い。

 

 先へ進む。最初に見た家具は明治・大正期のサイドボード(食器戸棚)。アール・ヌーボー調の植物の彫刻装飾が目を引くが、それ以上に、細かな傷がいくつもある所に、実際に家具として使われてきたんだなという感慨が湧いた。家庭の中に確かにあったんだなと。お隣には戦前・昭和時代の鋳鉄製のベッドがあった。何も載っていないフレームのみなので、ベッドらしいぬくもりを感じる物ではないが。昭和10年頃購入、平成13年まで使用していたらしい。平成13年というと2001年。2000年過ぎまで使っていたと思うと割と最近な印象を感じたが、それでももう20年前か。20年で家具はどう変わったのだろう。リアルタイムで変化を意識するほど家具に興味が無いのでよくわからないが、ベッドも基本的な構造自体が大きく変わった画期的な物が産まれている印象は無い。どうなんだろう?

 ここでも展示の解説パネルが興味深かった。ベッドの普及について解説したパネル。昭和初期までベッドは病院やホテル、ごく一部の知識人だけが用いる物で、本格的に一般に普及したのは第二次世界大戦後だという。昭和30年(1955)に双葉製作所が昼はソファ、夜はベッドに組み替えられる簡易型分割ベッドを発売し、これが女性を中心に若い世代にヒット。昭和40年代に本格的な一本ベッドが普及したと。世帯別のベッド普及率は、1966年には13.1%だったのが、1999年には56.7%に上昇。そして、ベッドの普及は専用の寝室を家屋に設けることに繋がり、開放的だった日本の住宅の個室化の大きな要因となったらしい。家具が家の構造を変え、それはおそらく生活スタイルを変えたんだろう。個室化されたということは、家の中で独りになれる時間を過ごせる場所ができたということだから。布団からベッドへの生活スタイルの変容が、住宅を、生活を変えていったとは考えたことも無かったな。こういう新たな思考との出会いがあるから博物館めぐりは止められない。

 

 壁側に家具が陳列されている向かいでは、家具の博物館の椅子コレクションが展示されていた。館として200余りを所蔵しているらしい。工芸指導所のイスの展示エリアから。イサム・ノグチがデザインしたスツールがまず目に入る。3本の反り脚は、古代中国の盃の脚の断面をモチーフにしているらしい。確かに、スツールの脚部が古代中国の青銅器の鼎を思わせる。教務用室プロトタイプ、食堂椅子、肘掛椅子が続き、学業用パイプ椅子と机のキャプションに目が吸い寄せられる。この机と椅子が、後に全国の学校用家具のモデルとなったと。当たり前といえば当たり前だが、今目にするような学校の机や椅子も起点となったモデルがあることに感動していた。工芸指導所ということは、民間ベースではなく、官側のアプローチとして学校用備品は整備されていったんだな。それはそうか。

 

 壁側に戻る。今度は組手接ぎ(組接ぎ・組継ぎとも)の体験コーナーがあった。箱などを組み立てる際に、2枚の板材を接ぐ方法。シンプルな石畳組接ぎから、様々な蟻型組接ぎを、板材を組み合わせたり外したりして遊んだ。蟻型組接ぎすごいな。しっかり噛み合って外れない。木材の継手は興味を持っていただけに、思いがけず体験できて良かった。ネジも釘も接着剤も使うわけでは無いのに、ここまでシンプルな構造で外れないようになるのだなあ。

 突き当った部屋の角っこは、テレビが置かれたビデオ鑑賞コーナーになっていた。この小さな一角だけでタイムスリップしたかのような感覚を味わった。本が収められたキャビネットに、受付脇で見たソファ、2つのチェアに机。お洒落にお茶会をするような空間だ。テレビが鎮座しているけれど。ビデオの鑑賞は受付に言うと出来るみたいだったが、今日はこの展示空間を感じることに終始したいのでパス。また来る日もあろう。

 

 ここから時代を一気に遡る。内側には、19世紀末のイギリスのドロップリーフテーブルと、同じくイギリスのロッキングチェアが、古びた写真と共に展示されていた。正三角形のテーブルの各辺に垂れ板が取り付けられ、上げ下げすることでカスタマイズできるテーブルと、座席下に引き出しのあるロッキングチェア。

 壁側には1780年頃にスペインの農家で使われた3本脚のイス。カップボード(食器戸棚)、荘重な作りのコートカボード(2段の低い食器戸棚)、カボードセッツル(戸棚付長椅子)、ラダーバックチェアにチェストが続いていく。大きな家具がずらっと並んでいると壮観だ。ラダーバックチェアの脇にあった、ウォーミングパンという道具が面白い。綴りはwarming pan。蓋付きの真鍮製の平らな鍋に長い柄が付いている道具で、鍋の中に熱した煉瓦や鉄の塊を入れ、夜寝る前にベッドを暖めるのに用いられたという。ベッドを暖めるための器具があったんだな。スピンドルバックチェア、サイドチェアなど椅子が続き、奥の角っこにはクラシカルな大きい家具が鎮座していた。バーキャビネット、ロングケースクロック、ジェントルマンプレス(男性用衣裳ダンス)、ライティングキャビネット。壁にはイギリスの家具様式の変化についてのキャプションがあった。ジョージ1世~3世の間がジョージアン様式、トーマス・チッペンデールやジョージ・ヘップルホワイトが活躍し、軽快優美で機能性に優れた家具が作られた。ジョージ3世の晩年が新古典様式、ヴィクトリア女王の時代になると復古的古典様式で機能美から離れ、形態や装飾の著しい誇張が目立つようになるが、19世紀後半になると市民生活に適した新たな家具が作られていく。機能美型の家具の方が好きな感じがするが、ヴィクトリア期の華美さもインパクトの大きさとして悪くない。

 これらの時代を感じる家具の向かいでは、ミニチュア椅子がいくつも展示されていた。菊地敏之が欧米のクラシックチェアを1/5で再現した、菊地コレクションなる物らしい。ウィンザーチェア、チッペンデール様式のイス、ロココ様式のイスなど、20程あっただろうか。こういうミニチュアを見ていると、人形遊びも楽しそうだなとか、模型として部屋などを作っていくのも楽しそうだなとか感じる。

 

 クラシカル家具を目に焼き付けて先に進むと、壁側の展示エリアには仏壇が鎮座していた。一気に感覚が日本へと引き戻される。仏壇のある家で育たなかったので判断しかねるが、豪華な物だなあ。夜具箪笥、座布団箪笥、いずめ(赤子を入れておくための籠、いわゆるベビーベッド)が陳列され、壁には夜着が掛かり、意識が和へと染まっていく。座布団箪笥はなかなか大きく、座布団を入れるためにこれだけの箱を使っていたことに驚いた。ここのキャプションも興味深い記述があった。明治期に綿布団が普及し始めると、押し入れの無い家で夜具入れ需要が湧いた一方、婚礼用の長持は使い勝手が悪く廃れていき、長持に代わる新たな商品として大きな夜具箪笥が産まれたという。確かに長持は使い勝手悪そうだなあ。取り出しづらそうだし。

 

 和の気分のままに振り返って内側の展示エリアを見ると、ウィンザーチェアが何脚か展示されていて、気持ちがまたイギリスに帰っていく。ウィンザーチェアは17世紀後期にイギリスの地方の町家や農家で用いられていた木挽きイスが起源で、上部・使いやすい・味わい深いという三拍子に加え比較的安価な値段から、都市の中流家庭に広まっていったという。1720年代には北米植民地のも渡って行き人気を博したらしい。シンプルで使いやすいのが一番だね。その生産は、1脚につき50~60工程に細分化され、各工程ごとに職人の賃金が定められた分業体制で生産されたと。随分近代的な生産スタイルだ。

 

 さらに進むと江戸時代の商家家具が目に入る。ここからは最後までずっと日本の家具が展示されていた。帳箪笥、銭箱、帳場格子。大きく「す」と書かれた酢屋の看板に、両替屋の看板。梅に薬玉ののれん。ここは江戸の町か。壁側には、大きな水屋戸棚と階段箪笥を後ろに、扇子の意匠の自在鉤に、豆炭入れ、火消し壺、五徳、箱膳、箱火鉢、安全炬燵などが並べられていた。立てても寝かせても転がしても中の火容が水平になるようになっている、六角柱の安全炬燵が印象的。ありがちだけど、こういう構造の道具を見る度に、初めに作った人のすごさを思う。

 中に灰と炭を入れ、火を起こして暖を取る行火(あんか)が展示されているのを見て、巨大な車箪笥と車長持に目を奪われる。デカい。下に車が付いており、非常事態に持ち出せるようにした箪笥と長持で、明暦の大火の際にはこれの大渋滞となって被害が大きくなる由縁となり、何度か禁止令が出された代物だ。続いて壮麗な衣装箪笥がいくつか並び、箪笥にあしらわれる文様の解説パネルが長々と続く。しっかり読む元気を失いつつあったので、てきとうに流しで読み、箪笥を眺めていく。

 

 また時代が転換し、昭和期の家具の展示コーナーに入る。相引という、歌舞伎などの舞台で用いられる腰掛けの組み立てコーナーがなぜかあったので、ばらされた部品を腰掛へと変え、昭和気分を味わいながら進んでいく。ちゃぶ台、柱時計、洗濯板、折り畳み勉強机など。イスとソファーの応接セットが展示され、ケースに入った船箪笥をいくつか見て展示は終わった。最後のエリアの途中から、これはスタート段階で展示順路を逆走して見て行ったんじゃないかと勘繰ってしまった。エリアによっては戻って見るのも良かったかもしれない。

 

 

 ということで、200円の入館料にしてはかなり楽しんだ。他に誰も来館者がおらず、贅沢な時間を過ごせたのも良い。美術館などの展覧会で家具を見る機会はそれほど多くなく、展示されるような歴史的な家具をこれだけ見ることもほとんど無いし。展示替えがあるのかもしれないが、全体としてはイギリス家具と日本家具がメインだったので、他の地域の家具については調べてみようかな。家具文化に興味も湧いたしな。

 この後は昭島駅まで歩き、駅前の観光案内所で昭島市のマンホールカードをゲットして帰宅した。次にこの近辺に来る時は、 昭島・昭和の森 武藤順九彫刻園に訪れたいところ。もう今月展覧会に行く機会はおそらく無く、来月もどこかに行けるかどうか怪しい所ではあるが。文化の燈が絶えないことを願って。