10月のまとめ

10月に行った展覧会まとめ

 

太宰治文学サロン 山内祥史文庫ができるまで~研究の情熱と本への愛情をいしずえに~
東京ステーションギャラリー もうひとつの江戸絵画 大津絵
GOOD DESIGN Marunouchi 危機の中の都市 COVID-19と東京2050(β)
ポーラミュージアムアネックス ポーラミュージアムアネックス展2020–真正と発気–
銀座メゾンエルメスフォーラム 「ベゾアール(結石)」シャルロット・デュマ展
ガーディアン・ガーデン 田中義樹展「ジョナサンの目の色めっちゃ気になる」
銀座蔦屋書店 香月恵介・菊池遼・菅原玄奨「appropriate distance」
府中市美術館 日本の美術を貫く 炎の筆《線》
府中市美術館 公開制作79 三沢厚彦
ふるさと府中歴史館
府中市郷土の森博物館
武蔵野ふるさと歴史館 軍事郵便が語る日露戦争期の武蔵野
pixiv WAEN Gallery しぐれうい初個展「雨天決行」
GYRE GALLERY 名和晃平個展「Oracle
Meets by NADiff 江口綾音「Eiko
Intimissimi Art Space プシェメク・ソブツキ「WHO is Who?」
有楽町マルイ 成田美名子原画展
Artglorieux GALLERY OF TOKYO Contemporary Art Selection
銀座蔦屋書店 展覧会Exploring
ggg いきることば つむぐいのち 永井一正の絵と言葉の世界
ポーラミュージアムアネックス ポーラミュージアムアネックス展2020–透過と抵抗–

 

 

行ったエリアが3ヶ所ぐらいしか無い。いつものことではあるが。久々に展覧会に行った感想も書き、この流れを続けられるといい……のだが、東京を離れることになったのでおそらく数は激減する。電車賃も安いし、美術館やギャラリーの数という点では東京はやはり圧倒的で、そこに慣れてしまうと辛くなる。のうのうと生きた罰だろう。

感想を書きそびれたが、府中を半日ほどでうろうろし、色々見て回ったのが今月のハイライト。市民文化の日ということで、美術館・博物館入館料が無料で、展示を堪能しつつ、分倍河原の古戦場跡碑に在りし日の戦いに思いを馳せていた。府中は歴史遺産が街中に結構あるのだなと。

 

 

10月に読んだ本まとめ

 

Fafs F. Sashimi『異世界語入門~転生したけど日本語が通じなかった~』
会田誠『げいさい』
サンティアゴ・ H・アミゴレナ『内なるゲットー』
長月達平『戦翼のシグルドリーヴァ Rusalka』上・下
グカ・ハン『砂漠が街に入りこんだ日』
李琴峰『星月夜』

石坂泰章『巨大アートビジネスの裏側 誰がムンク「叫び」を96億円で落札したのか』
キャサリンイングラム『僕はポロック
大西祥平小池一夫伝説』
小山登美夫『現代アートビジネス』
新人物往来社編『ムンクの世界』
高橋典幸編『中世史講義【戦乱篇】』
高橋龍太郎『現代美術コレクター』
ショーン・タン『内なる町から来た話』
三鷹市山本有三記念館『山本有三三鷹の家と郊外生活』

 

 

不安定になると読書量が増える。美術系の新書3冊でコレクター・ギャラリスト・オークショナーという異なる3つの世界から現代アートの世界を覗き見て勉強になったほか、2020年以降刊行の新し目の面白い小説に触れることが出来て幸いだった。80年代の美術業界の空気と美大受験に焦点を当てた『げいさい』は『ブルーピリオド』を手に取った人にも是非読んでほしいところ。ショアー文学というジャンルは初体験だったが、あまりにも重い体験によって沈黙に至ってしまう人物を描いた『内なるゲットー』では、改めてショアーという出来事の大きさを実感した。『砂漠が街に入りこんだ日』は、作者が母語ではない言語によって執筆したという事実もだが、揺らぐ社会で正道に在れずにいる人々がある種突き放したような文体で綴られており、内容としても面白い。在日外国人にとっての日本語の言語体験が軸にある『星月夜』は、あまり意識したことの無い人々のことを考えさせられた。

複数の図書館カードを作っては、カーリルを使って読みたい本の図書館まで足を運ぶ日々だったが、これからはその気軽さも無くなりそうなので、読書量がどうなるかよくわからない。読む本の方向性は変わるかもしれない。

展覧会巡り2020年10月3日

 コロナ閉館ラッシュも多少は収まり、図書館も美術館・博物館も大体の施設が通常開館するようになってきた。今まで予約文化に生きて来ず、前日にパッと予定を組んで展覧会旅程を決める身としては、事前予約無しに入場できない展覧会に辟易するが。今まで予約形式のイベントにあまり行ったことが無い人生を送ってきたせい。大学博物館は依然として閉館中だったり、開いていても学内生以外は利用できなかったりと、気楽で充実した博物館巡りにはまだまだ遠いものの、ここ数ヶ月で行ける範囲はぐっと広くなった。

 先週土曜日に色々巡ったので久々に記録を書いてみる。以前書いた一日徘徊記録は渋谷~原宿と銀座・日本橋だったが、今回は東京駅から銀座の方へ南下しながら色々見て回ることにした。一日同行してくれた友人に感謝。

 

 

 

 もうひとつの江戸絵画 大津絵

 スタート地点は東京駅を出てすぐの東京ステーションギャラリー。招待券が当たったので友人を誘い、ついでに展覧会巡りで銀ブラしようというのが今回のプラン。東京駅に来るのが久々で、とりあえず丸の内側出口をてきとうに出れば場所はわかるだろうと南口から出てしまった。久々に目にすることとなったが、やはり東京駅の建物は良い。東京オリンピックまであと何日という掲示を横目に、待ち合わせ場所の美術館前に無事到着。五輪に思い入れは特に無いが、五輪のもたらす物がコロナ後の世界でどう作用して行くかは見たい気もする。良くも悪くも物語として安易に消費されて終わって欲しくは無いが。

 ちょうど13時頃に入場。要事前予約の展覧会だが、招待券を持っている人は当日入場ができる。荷物をロッカーに預けてエレベーターで3階に昇る。エレベーターを降りて驚く人の波。予約制の展覧会とは思えない。人の溜まる入り口部分はさっと見て、先へ流れた人が薄くなったタイミングで戻って鑑賞スタート。初っ端に浅井忠の言葉が引用されていて、大津絵が洋画家に注目されていたことに驚く。大津絵といえば、博物館の展覧会などで数点が添え物的に展示されている物で、浮世絵などとは異なる文脈の民衆絵画という程度の知識しかなかったが、説明を読んでようやく大津絵の何たるかをきちんと理解する。大津絵は江戸時代初期に土産物として東海道の宿場・大津近辺で職人らによって量産された民衆絵画らしい。民衆文化や歴史資料の側面で捉えられてきた大津絵を美術として魅せられるかというのが今回の展示趣旨のようだ。今回の展示は大津絵を所蔵者ごとにまとめて展示する形式で構成されており、単なる大津絵展のみならず大津絵コレクター展という側面がフィーチャーされていた。最初に驚いた浅井忠に限らず、梅原龍三郎など洋画家に受容されていた他、海を越えてなんとピカソまでもコレクションしていたという。展示は大津絵が受容され始めた頃から、芸術家のコレクションとして大津絵展が行われた流れを見ながら、柳宗悦による民藝としての側面を紹介し、戦後期のコレクターについて見ていく構成。

 大津絵を高尚な美術作品として鑑賞してすごいと感じることは大して無かったが、一昔前の絵本のような印象を受け、漫画を思わせる絵、コミカルに軽く楽しめる絵として面白い絵は多く、いちいち絵に突っ込んで笑っていた。詳しくなかったので初めて知ったが、大津絵はテンプレ画題がいくつかあり、展示も同じ画題・構図の絵がかなり多かった。『鬼の念仏』と『外法梯子剃』は何枚見ただろうか。ネズミがやたらと大きな盃で酒を飲んでいる絵や、ツーショット写真の構図に見えなくもない相撲の絵などが個人的には好み。アトリビュート的に源頼光の頭に鬼が描かれた結果、鬼が憑依していたり、鬼の被り物を被っていたりするように見えるのも面白かった。アトリビュートといえば、弁慶の頭の上にざっと描かれた七つ道具の雑さに、大量生産絵画という大津絵の特性を実感した。来迎図で仏の周囲に描かれる光の表現が、あまりにもシンプルな直線3本の光で、安っぽい集中線に見えたのにも笑ってしまった。

 絵の描き方の興味としては、弁慶の顔や肌の色合いが灰色に近い色合いで、力自慢の男の赤ら顔ではないのだなと思ったり、鷹匠の描かれ方が若衆と同じ美男子カテゴリーで描かれていたりしたのが興味深かった。この時代における鷹匠という職業イメージは、そういうタイプの物だったのかな。槍持奴のような描かれ方とは違う。鷹匠のキャプションの英語表記がfalconerで、鷹はhawkだったよなと思い返しながら、西洋での狩りについて調べたくなった。

 展示全体としては、コレクターの存在を明示しながらも、美術として大津絵を見せきることはできたかと思うと微妙な印象を抱いた。美術家であるコレクターの言を引くのは良いのだが、その結果として何か影響を受けたのか、何を美術的に評価したのかなどは展示からは見えづらい。展示品の所蔵館を気にしながら見ていたが、博物館の所蔵が目立ち、蒐集する対象としても資料としての扱いの方が強いのかなと感じた。単純な絵としての面白さの外で展示品を見た際に、これは当時の文化を反映しているのかなと感じるなど、やっぱり美術というよりは資料目線で鑑賞していた。美術として美術品を見る態度が育まれていないのもあるが。とはいえ、大津絵をまとまった物量鑑賞することができたのは貴重な機会で、間違いなく来てよかった展示だと思う。同行者が面白さを感じて注目する作品が違う所に、やっぱり誰かと来てよかったなあと。この展覧会は、人によって好きな絵は結構変わってくる気がする。

 

 

 危機の中の都市 COVID-19と東京2050(β)

 丸の内側を南へ下り、GOOD DESIGN Marunouchiへ。事前予約でファストチケットが手に入る展示ながら、前日夜の段階で結構空いている時間帯が多く、余裕があれば予約無しでも入場できるみたいなので予約はせず。大津絵展を見るのにどれだけ時間を要するか見積り切れなかったのも一因。初めて訪れた展示スペースで、外から中の展示を見た第一印象は大学の学園祭発表のような感じ。大津絵展を見た後に空きを確認すると、相変わらず満員では無いようで、すんなり入場できた。

 過去の災害史による人口推移の年表と関東大震災による焼失エリアが塗られた地図を見ながら、関東大震災が如何に甚大な被害だったのか、戦災によってどれだけの人口が失われたのかを改めて実感する。コロナによる昼間人口の推移などがまとめられたパネルを眺め、春から今までの生活について友人と話した。展示空間の中央に置かれた、将来の日本像をグラフとして立体的に表した地図が印象的。日本地図の各自治体の場所に、棒グラフ状に現在と比較した2050年の人口状況が示されていたが、東京エリアに高く高く伸びていくポールに比しての地方の低さ。大阪や名古屋に比しても東京が圧倒的に高い。数字を視覚的にわかりやすく突きつけられると現実の重みが増す。内陸住みが続いたことで、海側近辺の展示は実感薄いままにさらっと流したが、現状把握という点で学ぶ所の多い展示だった。

 

 

 ポーラ ミュージアムアネックス展2020 –真正と発気–

 同行者がコンビニで昼食を買いに行くとのことで、道中の東京商工会議所の建物へ入る。来年のNHK大河ドラマ『青天を衝け』のパネルが展示されていて、そういえば渋沢栄一が主人公だったなと思い出す。渋沢栄一銅像も建物内にあった。建物近辺のベンチで食事をしながら、大津絵展の感想を話し合う。誰かと展覧会を回るとこういう話ができるのが良い。それにしても、街中で座って話せて食事もできるこういうスペースがあるのはありがたいな。家の近所ではコロナの影響でそういうスペースが撤去されてしまって困る。線路の反対側へ出て、少し歩いて目的地へ到着。幾度となく来訪しているポーラミュージアムアネックスだ。これまた事前予約をしていなかったが、ちょうど空いている時間帯ということですんなり入場。15時過ぎぐらいだった。

 寺嶋綾香・太田泰友・半澤友美という3人のアーティストの作品展示。寺嶋綾香による、Dokiという色々組み合わせた現代土器な粘土作品や、紙の原料たる植物繊維から布のような物を再構成した半澤友美の作品も展示されていたが、3人の中で一番興味深かったのは太田泰友によるブックアート作品だった。本の形をした木片が樹の枝に食い込むように展示されている作品や、一枚のパネルごとに果物の断面を描き、本として果物を創り出した作品、家具類にparasiteする本。本の各部を指す用語に建築用語が使われるように、本は建物と同じような所がある。本を構成する紙が木材チップから作られるのも含めて、個々の作品が本の新たな側面を開く展示として興味深かった。本はあらゆる事物を記述するという点で、本自体が家具や木をその内に取り込んで身にしていくこともできるのだ。

 

 

 「ベゾアール(結石)」シャルロット・デュマ展

 銀座という空気が強くなった街並みを歩いて行く。次に向かったのは、銀座メゾンエルメス8階にある銀座メゾンエルメスフォーラム。来るのは3回目で、前回と同じく店舗外のエレベーターからの入館。コロナ状況が解消されたとしても、店舗内エレベーターから入館しないこのシステムは継続してほしい。店に用事があるのではなく、あくまでも展覧会を見たいだけなのだから。

 展示としては馬の写真と馬の映像がメイン。馬の埴輪もあり、とにかく馬という存在を感じる展示。与那国島の豊かな自然の中で、少女と馬を写した映像を観ながら、自然に生きる馬の力強さを知る。ただ、10~20分規模の自然映像を集中して観られるほど、自分は動画というメディアに興味が無かった。この展示で一番印象的だったのは、ベゾアールの実物がいくつも展示されていたことか。動物の胃や腸の中に形成される凝固物であるベゾアール。かつては神秘的な存在として取り扱われたこともあるという。主な展示物である映像や写真以上に、ベゾアールに心躍らせ目を輝かせていた辺りが、自分の興味の方向性なのだろう。

 

 

 田中義樹展「ジョナサンの目の色めっちゃ気になる」

 銀座近辺で展覧会を調べていて、何となく目に留まった展覧会で今日の展覧会巡りは終了。開催場所のガーディアン・ガーデンに向かうが、入り口がわからず建物周りで右往左往した。地下へ下りる階段を無事見つけ、何だかここ来たことあるようなという既視感がよぎる。似たような立地なだけかもしれないが、銀座で地下に階段で降りて展示を数年前に見た覚えがある。

 入ってすぐに受けた印象は中高の文化祭。特に美術系とかそういうのではない場での。塗りたくったライオンっぽいオブジェがドンと置かれ、金ぴかな絵画が壁に掛かり、十字状に見える無数のかもめが天井から下げられ、所狭しと作品が並べられている。奥にある舞台もきちっとした舞台らしい印象を与えない。文化祭的な手作り感に溢れている。

 ちょうどミニ演劇を上演する時間に入ったらしく、展示をじっくり見る前に観劇することに。毎週定めたテーマに沿った演劇を上演していて、海、原というテーマに続いて今回は雄。展示期間の真ん中辺りということで、いつもは長めの演劇をやっているが、中弛み気味に10分程度の短めの物をやるとのこと。過去のテーマを聞いて、来週は山か?と思ってしまった。いきなり劇を観ることになるとは思わず、困惑から抜け出せないままに始まった。裸の王様をモチーフに、この物語を裸というコンセプトの現代アートとして解釈してあれやこれ……という話と、カブトムシとクワガタムシの対戦ゲーム風の相撲から過去のロシア暴動ってこんなのだったんじゃない?という話。非難者が一瞬で被非難者に変わり、痛々しいほどに公に糾弾されるTwitter空間を思わせたり、コンセプトと言ってしまえばアートとなりかねない危うさや、「正しい」美術教育という像を考えさせられたりするなど、前者は観ていて面白い物があった。帰宅途中に思い返してみると、裸の王様コンセプト説は少し前にネットでバズっていたような気がしたが。後者はまあそんな物だろうなと。面白さは感じたものの、これだけ人の少ない至近環境でパフォーマンスを観る機会に乏しく、場の空気に乗り切れないままあっさりと流して反応しきれなかったのは申し訳ないところ。双方向的な鑑賞態度を取る事物への経験値が少なかったな。演者の方は身体を張ってぴょんぴょん飛び跳ねて足を大分痛めただろうと思う。

 コンセプトの根っこには『かもめのジョナサン』の新版があるらしい。第4章で神格化されたジョナサンに対し、若いカモメはその意思たる飛行技術の追求ではなく、ジョナサンの目の色がどうだとかジョナサンがどういう存在だったかを調べるようになる。面白いことは大体昔の人がやってしまった現代、ジョナサンの目の色が気になるカモメたるアーティストは、サンプリングの中で過去と繋がる瞬間があるかもしれない。そんな感じのことがプリントに書いてあった。大体既出な世界で、それでも何ができるのか、新しさのレッドオーシャンを突っ走るか、過去から新たな価値を産んでいくのか。ジョナサン研究者であったとしても、やはりそこから新たなジョナサンになって行きたいと夢想してしまうのが自分だが、現実として探究者にすら成りえず停滞しているから甘くて辛い。関連グッズが余っているとのことで、半ば強引に一つ持たされた。これを見る度に、演劇を観ては気分がノリ切れなかった自分を思い出すのだろう。

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 色々巡って時刻は17時半ぐらい。夕餉にはいささか早いため、銀座で割かし好きな場所である銀座蔦屋書店へ。本棚のラインナップや店内展示の美術品から上級社会とか文化資本という存在を実感し、友人共々圧倒されていた。普段触れる物とは一段と異なる世界を実感できる点で、この空間に身を置いて色々と摂取していくのが好きだ。海外マンガのコーナーで、読んだことのあるマンガが何冊も目に入り、図書館で閉じていた世界が実社会と繋がったのが個人的に面白かった。

 JR都区内パスを使ってうろうろしているので、食事処探しついでにまた別な文化パワーに触れるかということで秋葉原に移動。銀座の人出も一時期よりは大分増えていたけれど、秋葉原も昔とあまり変わらないぐらい多い。外国人をあまり見ないという点では昔と違うが。アニメイトに寄って漫画やラノベの新刊を見、ビックカメラでおもちゃとプラモを眺め、食事をしてBOOK OFFを眺めて解散。文化という物をひたすら浴びた一日だった。

9月のまとめ

9月に行った展覧会まとめ

 

アップリンク吉祥寺 映画『ジャズ喫茶ベイシー Swiftyの譚詩(Ballad)』公開記念特別展 「ジャズ喫茶ベイシーにて」
TAV GALLERY ノンヒューマン・コントロール
代官山ヒルサイドフォーラム ブレイク前夜×代官山ヒルサイドテラス時代を突っ走れ! 小山登美夫セレクションのアーティスト38人
アートフロントギャラリー Art Front Selection 2020 autumn
NANZUKA 2G ジェームス・ジャービス「Transcendental Idealism」
3.5D 花譜展2
杉並アニメーションミュージアム サンライズヒーローロボット展
Bunkamura Gallery 万華鏡展2020
Meets by NADiff Wall Gallery THE COPY TRAVELERSの遅れてきた速報!!
SAI JOHN HEARTFIELD
SPACE FILMS GALLERY 高松聡「FAILURE」
板橋区立美術館 2020イタリア・ボローニャ国際絵本原画展
調布市文化会館たづくり 岡田千晶絵本原画展「静かに扉をひらくとき」

 

 

この記事が書かれ続ける以上は、展覧会に読書に日々を過ごす無名人は生き続けるのだなと思うと、何も残さないよりは生存報告している方が良い気がしてきたな。ネットのアーカイブの寿命に疑いはあるけれど、こうやって生きた記録が後々残っていくのだとすると面白い。

9月に行った展覧会では、ブレイク前夜展とボローニャ国際絵本原画展が心に残った。今まで興味が全くと言っていいほどなかったが、5枚の絵で絵本は人を魅了するし、絵本の世界は自分が思っているほど狭い訳では無く、世界中で色々な技法で新たに生まれ拡がり続けているんだなと。可能なら来年も行きたい。出来れば誰かと話しながら鑑賞したい展示だ。

 

 

9月に読んだ本まとめ

 

蒼山サグ『ぽけっと・えーす!』2巻
朱白あおい『RELEASE THE SPYCE GOLDEN GENESIS
映島巡『SINoALICE―黒ノ寓話―』
川上稔境界線上のホライゾン NEXT BOX 序章編』
ジョン・グリーン『どこまでも亀』
ジョルジュ・ペレック『美術愛好家の陳列室』
宮内悠介『黄色い夜』
アルベルト・ルイ=サンチェス『空気の名前』

キャサリンイングラム『僕はウォーホル』
ショーン・タン『見知らぬ国のスケッチ アライバルの世界』
テレサ・ベネイテス『世界を変えた15のたべもの』
デイヴィッド・ホックニー、マーティン・ゲイフォード『はじめての絵画の歴史―「見る」「描く」「撮る」のひみつ―』

 

図書館の書架で目に付いた物をてきとうに手に取って読んだ小説が多め。強迫性障害の生々しさと、苦しみながらも生きていく少女の学校生活を描いた『どこまでも亀』が印象深かった。It goes on.に尽きる。ジョルジュ・ペレックの小説は虚実入り混じる美術コレクション世界をギャラリー画という入れ子構造で描き出していて、美術に少なからぬ興味を抱く身として何とも不思議な気分で読了。実作では無かろうと思いつつ読んでいたが、最後の最後で再び読み返すかと考える一文がやってきて、訳者あとがきで実は本当にある作品だよと明かされる驚きと敗北感。嘘と割り切って読むとそれはそれで負けている気がする。

あと、今月は近隣の図書館所蔵の海外マンガを借りまくって読んだ。10冊ほど。漫画を所蔵する図書館自体が必ずしも多くはないが、海外マンガを相当数所蔵している図書館はそこまで多くない。最寄りの自治体である程度所蔵していたのは幸いだった。エイドリアン・トミネ『キリング・アンド・ダイング』、エマニュエル・ルパージュ『チェルノブイリの春』 、マリー・ポムピュイ、ファビアン・ヴェルマン『かわいい闇』、ヴィンシュルス『ピノキオ』辺りが印象的。今まであまり読んだことが無かったが(文化庁メディア芸術祭で何冊か読んだぐらい)、1冊1冊が分厚く濃厚で、小説を読むのとそう変わらない感覚で読んでいる。これからも海外マンガは読める限り読んでいこう。

8月のまとめ

8月に行った展覧会まとめ

 

小金井市文化財センター
Meets by NADiff Wall Gallery 児嶋啓多「Augmented / Words in the City」
板橋区立美術館 館蔵品展 狩野派学習帳 今こそ江戸絵画の正統(メインストリーム)
に学ぼう
板橋区立郷土資料館 伝統工芸展「甲冑刀装 甲冑師・刀剣柄巻師・白銀師のあゆみ」
Bunkamuraザ・ミュージアム アンコール開催 ニューヨークが生んだ伝説の写真家 永遠のソール・ライター
東京都写真美術館 森山大道の東京 ongoing
GYRE GALLERY ヒストポリス:絶滅と再生展
上野の森美術館 上野の森美術館所蔵作品展 なんでもない日ばんざい!
アトレ秋葉原 何とな~くコスパの25年がわかる!展
秋葉原UDXギャラリー とら祭りUDX特設会場出張所
NTT技術史料館
府中市美術館 児玉幸子 脈動―溶けるリズム
國學院大學博物館 モノで読む古事記
ラフォーレミュージアム原宿 ヤングマガジン 40th ANNIVERSARY in Laforet HARAJUKU
青山ブックセンター 『フォーゲット・ミー・ノット』刊行記念岡藤真依イラスト展
NANZUKA 2G HAROSHI「HAROSHI FREE HYDRANT CO」
3.5D CONNECTED OVER THE DIMENSION

 

 

感想記録に無気力になり、ただの月記録と化している。今月のハイライトは、3時間歩くと東京では結構な距離を移動できることを実感したこと。家から美術館まで3時間歩いてみた。うだるような暑さの中3時間歩いたのは正気の沙汰では無かったが、数時間歩けばそこそこの範囲を徒歩圏内として処理できるのがわかったし、これから歩くに悪くない気温になっていくだろうから、運動がてら歩きまくろうかな。

 

 

8月に読んだ本まとめ

 

蒼山サグ『ぽけっと・えーす!』1巻
赤松中学チアーズ!』6巻
石原燃『赤い砂を蹴る』
ナオミ・オルダーマン『パワー』
サラ・クロッサン『わたしの全てのわたしたち』
ニコライ・ゴーゴリ『鼻』
島崎藤村千曲川のスケッチ』
つかこうへい『蒲田行進曲
野﨑まど『タイタン』
野島一人『デス・ストランディング』上・下
八奈川景晶『バトルガールハイスクール』PART.1・2

芸術新聞社編『神業の風景画-ホキ美術館コレクション-』
原田マハ、高橋瑞木『現代アートをたのしむ―人生を豊かに変える5つの扉』

 

 

相変らず興味が湧いたのをメインに、何冊か図書館で目についた物を読んでいる。『パワー』、『わたしの全てのわたしたち』、『タイタン』、『デス・ストランディング』が今月読んだ中では面白かった。女性が電気を発する力を得て男女の力関係が逆転して行く社会変動を歴史小説という体で描いた『パワー』。結合双生児の2人の生活と想いの揺らぎを詩文調で記した『わたしの全てのわたしたち』。万能AIが社会運営を担うようになり、人々が仕事から解放された社会で、そのAIが不調となったことに始まるカウンセリングと騒動を軸に、仕事とは何かを描いた『タイタン』。死者がこの世に現れ、外に出ることが基本的にできなくなったアメリカで、人々を繋ぐネットワークを結ぶ主人公を描く、人気ゲームのノベライズ作『デス・ストランディング』。 簡単な紹介ながら、興味を持った物があれば読んでみてください。

 

7月のまとめ

7月に行った展覧会まとめ

 

ユミコチバアソシエイツ デイヴィッド・シュリグリー / 金氏徹平
Bギャラリー 原田和明展覧会「話せば短くなる」
ミヅマアートギャラリー 加藤愛(愛☆まどんな)展「ひあたりのわるいへや」
国立公文書館 競い合う武士たち-武芸からスポーツへ-
青山|目黒 ハイリスク/ノーリターンズ−南米現代美術のゲリラ戦術
pixiv WAEN Gallery PIXIV GIRL X GIRL COLLECTION 2020 MARGUERITE
Akio Nagasawa Gallery Aoyama 小畑多丘「Opposite Effects」
ほぼ日曜日 ア・メリカさんの描いた『MOTHER』の絵。
リベストギャラリー創 きたがわ翔原画展2020 ノスタルジア
クロネコヤマトミュージアム
世田谷美術館 作品のない展示室
pixiv WAEN GALLERY saitom個展「Castle On The Hill」
NANZUKA 2G 田名網敬一「記憶の修築」
VOID 朝倉世界一個展「SPECTER」
TAV GALLERY ノアの安産祈願展
座・高円寺 「公共建築はみんなの家である」展~伊東豊雄の4つの公共建築~
旧新橋停車場 鉄道マンの仕事アルバム 鉄博フォトアーカイブ
ギャラリーてん 世界の郷土料理展 300カ国・地域の食から知る美しき多様性
Yuka Tsuruno Gallery 松川朋奈、山谷佑介「OBJECTS IN MIRROR ARE CLOSER THAN THEY APPEAR」
児玉画廊 大久保薫「ろ過装置」
KOTARO NUKAGA 石塚元太良「Gold Rush California/NZ」
ブックマーク浅草橋 絶園のテンペスト生誕10周年記念原画展
Meets by NADiff Wall Gallery 風能奈々「祈りに似たもの」
西武渋谷店 Meguru Yamaguchi -HIGHER SELF-
武蔵野ふるさと歴史館 武蔵野の地名
調布市文化会館たづくり クリエイティブリユースでアート!×富田菜摘「ものものいきもの」展

 

 

展覧会記録を何も残さなかった7月だが、初めましての場所が少なくなかったので色々書くべきだった。一度書かない選択肢を選んでしまったのがよくない。今月頭に開館したばかりのクロネコヤマトミュージアム、実はいまだに行ったことが無かった世田谷美術館、展覧会もさることながら建物に驚いたTERRADA ART COMPLEX。予約不要で入館無料な品川のクロネコヤマトミュージアムに是非行ってみてください。感染者数がどんどん増えていく中、また施設が閉まらないかどうかをひたすら心配している。

 

 

7月に読んだ本まとめ

 

哀川譲俺と彼女が魔王と勇者で生徒会長
一色さゆり『神の値段』
入間人間やがて君になる 佐伯沙弥香について』3巻
小川洋子ブラフマンの埋葬』
澤田瞳子能楽ものがたり 稚児桜』
白鳥士郎りゅうおうのおしごと!』12巻
涼元悠一planetarian~ちいさなほしのゆめ~』
二月公『声優ラジオのウラオモテ』2巻
グードルン・パウゼヴァング『片手の郵便配達人』
原田マハ『<あの絵>のまえで -A Piece of Your Life-』
吉村昭『冷い夏、熱い夏』

大山エンリコイサム『ストリートアートの素顔 ニューヨーク・ライティング文化』
芸術新聞社監修『現代彫刻アンソロジー
筒井清忠編『昭和史講義【軍人篇】』
不動まゆう『灯台はそそる』
山田雄司編『忍者学講義』
渡辺由佳里『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』

 

 

ひたすら読みまくってやると一時思い至ったものの、心の弱さから存外読めなかった。読んだ分を咀嚼して自分の中に意義ある形として残していけているのかという疑問も絶えず、数だけ積んでも意味は無いよなと、いつもより読む数を増やしてみて痛感した。全部が全部、スナック菓子を貪る瞬時の快楽みたく消えていってそうな恐ろしさがある。ともあれ、8月以降も読書する習慣自体はずっと持ち続けたい。

6月のまとめ

6月に行った展覧会まとめ

 

吉祥寺美術館 土田圭介鉛筆画展 心の旅 モノクロームの世界で描く心のカタチ
武蔵野ふるさと歴史館 かたちの中の記憶
アップリンク吉祥寺 pascALEjandro Alchemical Love
スパイラル タナカマコト展 「タダのカミ様」
MAKI GALLERY マンゴ・トムソン「Archives」
FL田SH 星拳五「転がる器のメタモルフォシス」
原宿ACG_Labo 羽山淳一展~アニメーターズ・スケッチ(バトルキャラクター編)発売記念~
GYRE GALLERY ヒストポリス:絶滅と再生展
DIESEL ART GALLERY GUCCIMAZE個展「MAZE」
NANZUKA 2G 横山裕一
NANZUKA ダニエル・アーシャム「Relics of Kanto Through Time」
渋谷マルイ TVアニメ『BNA』の世界展~TRIGGERのDNA~ in 渋谷マルイ
東京都渋谷公園通りギャラリー フィールド⇔ワーク展 日々のアトリエに生きている
BLOCK HOUSE 青木美紅初個展「zoe」
銀座メゾンエルメスフォーラム 「コズミック・ガーデン」サンドラ・シント展
銀座蔦屋書店 井田幸昌作品集刊行記念「Crystallization」
銀座蔦屋書店 品川亮個展「Nature’s first green is gold,」
日本橋三越本店 梅津庸一キュレーション展「フル・フロンタル 裸のサーキュレイター」
吉祥寺美術館 アール・ブリュット2020特別展 満天の星に、創造の原石たちも輝く-カワル ガワル ヒロガル セカイ-

 

 

いっぱい行っているように見えるが、往時に比べると少ないし、大きめの展覧会には行けていない。4~5月に餓えていたのもあってか、多くの展覧会を興味深くじっくりと鑑賞することができたのは良かった。来月はぐるっとパスも導入して色々見て回りたいところだが、まだ閉館が続いている場所や予約制の場所も多いので、どうなるかはやっぱりわからない。

 

 

6月に読んだ本まとめ

 

池田明季哉『オーバーライト―ブリストルのゴースト』
一色さゆり『ピカソになれない私たち』
川越宗一『熱源』
二月公『声優ラジオのウラオモテ』
林真理子『綴る女―評伝・宮尾登美子
まはら三桃『鷹のように帆をあげて』

 

図書館が開館して色々借りられるようになって借りまくったはいいが、気持ちが読書に傾かずに借りた本が何冊も積読となってしまった。そんな微妙な気分の中でも、川越宗一の『熱源』はタイトル通りの熱を感じさせる面白い一冊で、夢中になって読み切った。サハリンとその地の少数民族の話が沼野充義最終講義とリンクし、民俗学的に調査して文化を残していく話は、数年前から毎号読んでいる『月刊みんぱく』と噛み合って、自分の興味にストライクだった。『オーバーライト』はグラフィティという最近の個人的関心がラノベという媒体で表現された面白い作品で、『ピカソになれない私たち』は美大での美術教育やアーティストの卵がどう自らを出していくかを描いた点で興味深く、読みたくて読んだ小説が今月は多かった。普段は図書館の本棚からてきとうに取って読むのもしばしばなので。来月は小説に限らず、小説も興味外の物含めて色々と読んでいきたい。

展覧会巡り2020年6月24日

 春らしからぬ自粛気分の日々が過ぎ去り、完全に元通りとまではいかないまでも文化的な生活を外出して楽しめる社会がある程度戻ってきて数週間。慣れてしまった閉じこもり生活から心が戻り切らず、動き出す社会に戸惑いを隠せないものの、実際の展示スペースに足を延ばし、空間として展覧会を味わえるようになったのは嬉しい話だ。まだまだ美術館や博物館は閉館中の所もあるが、この事態で崩れ切らずに存続してくれることを願う。

 興味のままに時間の許す範囲で色々回っている割に、博物館での1つの展示についての記録だけ残していくのももったいないような気がしてきたので、今回はあちこち彷徨った昨日の一日の記録を書いてみることにする。これからはこういうのも書いていこうかな。

 

 

 

 ダニエル・アーシャム「Relics of Kanto Through Time」

 まずは渋谷のギャラリーNANZUKAの展示から。NANZUKAに訪れたのは春に開催された空山基の新作展が初めてで、今回が2度目の来訪になる。「Fictional Archeology」をコンセプトに作品を創り出す現代アーティストの展示で、株式会社ポケモンが現代アーティストとコラボしたアートプロジェクトはこれが初めてらしい。

 西暦3020年に発掘したポケモン赤・緑の世界を再現したとのことで、展示会場にはポケモンの化石のような作品が何体もいた。所々朽ちて体内の鉱石の結晶が見えていて、そこに発掘物としての存在感を覚える。今ではポケモンは900種類近くいるんだったか。その中で、カメックス、プリン、イーブイなど、初代の自分がなじみ深い世代のポケモンが立体作品として表現されていることに懐かしさに胸がいっぱいになる。展示されていたポリゴンを前に思わず考え込んでしまった。人工物のポリゴンの化石化はこんな感じなのだろうか?錆びて動かなくなった機械のような何かが化石という道を辿れるのだろうか?機械生命体って化石になるのかな?そして、ポケモンカード第1弾のカメックスと英語版リザードン。パックを買って遊んでいたのは何年前だろうか。考古遺物の石版と化したポケモンカード遊戯王を思い出した。

 作品として楽しんだのもあるが、自分がポケモンという作品に触れて過ごした時間の懐かしさが、考古的発掘物という懐古的な立体作品により、相乗的に呼び覚まされた面白い時間を過ごした。二次元世界として触れてきた作品が立体化されて風化して行く(ように見せられる)ことによって、感じないようにしてきた作品内で流れゆく長い長い時間の果てを想起させられたのも興味深い。何か想像をめぐらせたところで、作品設定に無い場合に、事物が化石化するほどの未来を思い描くことは普通は無い。そこまで先になると作品と同一の世界を保っているかもわからないが、作品世界は観測者たる我々が目を向けなくとも滅びゆくまで続いていくはずで……ということを考えていた。ポケモンはそもそも化石が作中で登場し、それを復元する世界観だけど。

 

 

 「TVアニメ『BNA』の世界展~TRIGGERのDNA~ in 渋谷マルイ」

 こういうアニメとか漫画とかの小さな展示を探すのに便利なサイトが欲しい。以前に渋谷マルイで展示を見た記憶から、今何かやっていないだろうかと調べた結果見つけたので行くことにした。事前予約制でNANZUKAに来る以上渋谷に来るのは確定で、同じ渋谷ということでついでに回ることに。

 『BNA』は中盤ぐらいの話を観て興味を持ったのだが、あまり触れていないのでそこまでアニメカットを観ても感慨が無い。というか、TRIGGER作品に全然触れていなかったのを展示を見ていて思う。『SSSS.GRIDMAN』ぐらいじゃなかろうか、結構観ていたのは。舛本和也『アニメを仕事に! トリガー流アニメ制作進行読本』は読んだのだが、肝心の作品を観ていなかった。何か観ようかな。あっさりと流して終わる。

 

 

 「フィールド⇔ワーク 日々のアトリエに生きている」

 渋谷で展覧会をやっている場所を探した果てに、オープンしてからまだ行っていなかった東京都渋谷公園通りギャラリーへ。地図を片手にうろうろしていたが、入口がわからず一度は過ぎ去ってしまった。この日初めての検温を受付で済ます。平熱より低い温度が示され、この方式でいいのかと思わずにいられなかったが、まあ検温したという事実が大事で、明らかな体調不良者を弾けるならいいのだろう。

 受付横にある展示室、受付脇のスペース、少し離れた所にある展示室の3ヶ所で作品を見る。個々の作品にさしたる思いを抱きはしなかったが、作品と共に展示された作り手達を写した写真群は、完成物がドンと置かれてそれ自体生まれて存在していたかのようにともすれば思ってしまう美術作品が、人の手で作られた物なのだという当たり前の事実を思い出させてくれた。展示空間に存在している作品は、作品それ自体にアーティストというタグ情報が付されて初めから在ったようにある訳じゃないのだと。作品は作品、人は人として分かたれた物じゃないというか。そんな実感を得て早々に出た。

 

 

 青木美紅初個展「zoe」

 原宿の方へと北に歩いて行く。コンビニの脇の路地を入っていき、初来訪となるBLOCK HOUSEに到着。手前の道路では写真撮影らしきことが行われていたが、単なる個人撮影なのかもしれない。

 地下の展示室に入ると、刺繍人形が目に入る。人工授精で産まれたというアーティストが、世界初の人工授精を成功させたというジョン・ハンターを題材に、ハンタリアン博物館を訪れた経験を基に作り出した展示空間。最近、GYREで未来的なバイオアートの展覧会に行ったのもあり、生命意識に触れたくて今回来てみたかった展示だった。

 ハンタリアン美術館の展示空間を許可の下で再現したものらしい。6本足のシカなど奇形の生物の写真があることに近代の医学に思いを馳せる。人工授精を初めて成功させたジョン・ハンターの時代から、今の生命技術は本当に遠い所へ来てしまった。建物の4階にある展示室にも足を踏み入れ、まず視界に入ったサインポールにDNAと生命を感じる。生命という文脈があるだけで、サインポールは二重螺旋へと姿を変えるのだと、この時初めて気づいた。展示を見たのかという感想になるが、この部屋の壁に書かれていた、サインポールと瀉血の関わりが展示全てで一番興味を惹かれた物だった。血を抜く瀉血は民間医療として、ローマ法王に禁じられつつも床屋で行われ続けたこと。それは近代医学を進めたジョン・ハンターが止めるよう訴えても続いたと。サインポールは瀉血の際に血流を良くするべく患者に握らせた棒であると。そんな民間医療の体現物が今なお街中で動き続け、そしてDNAという命の形をそこに見てしまうという事実に驚愕していた。永遠の命をハンターは追い求めてある時挫折したという。生命という物への意識が禁忌から離れつつある今の時代、ハンターは何を思うだろうか。最後に、刺繍というメディアは何か紡ぎだす感じがして、それが生命なのが今回の展示だったのかなとふと思って場所を後にした。ハンタリアン博物館のような、あからさまなモチーフ元の無い展示を次は見てみたいな。

 

 

 「コズミック・ガーデン」サンドラ・シント展

 表参道ヒルズで展示を見る予定だったが、気が変わってスキップし、目黒駅で降りて図書館に立ち寄り、山手線で回って有楽町駅へ。ある程度周るルートを決めておくと都区内パスは便利だ。1度訪れた記憶を元に道に迷うことも無く銀座メゾンエルメスへ。いつもは店内エレベーターの利用で展示場へ行くことになるが、コロナ情勢下のために店外のエレベーターに乗る。展示を見ることだけを目的にしている以上、わざわざ店内に入りたくないので、ポストコロナ時代にもこの状態は続いてほしい。

 エレベーターを降りて正面の展示説明を読み、振りかえって息を呑んだ。説明で意識が左右されていたのもあるが、壁に広がっていた青の世界に見入っていた。青々とした地の画面に白い点が飛び散り、ヴェールのような梯子のような白い線が舞っている。飛沫が飛ぶ荒れた海原のような、星が点々とする空のようだ。自然に満ちた風景を目の当たりにして、感動する感覚に包まれていた。置かれていた長椅子に座り、画面を見る。晴れた日に原っぱに寝っころがって空を見て、流れゆく雲を眺めているような気分。しばしその時間を堪能し、入り口から右側の画面を見た後は引き返して左側の画面へ向かう。こちらは黒い地に白い*や散りばめられ、白い〇がいくつか描かれた物で、宇宙を思わせる。奥に靴を脱いで上がる空間が広がっていたが、黒いクッションはコロナ対策ということで使わせてもらえず。このクッションに寝そべり、宇宙の中に自分がいるのだと展示を実感することができれば最高だったのだが。何かを考えようとして、でも何も出てこなくて、ただ自分が矮小な何かだというチクっとした痛みを感じてエレベーターを降りて行った。

 

 

 銀座蔦屋書店

 GINZA SIXに入ると、天井から吊るされた中央のインスタレーションに自然と目が行く。吉岡徳仁の『Prismatic Cloud』を眺めながら、エスカレーターで上の階へ進んでいくこと数階分、とりあえず何か展示をやっているだろうということで立ち寄ることにした銀座蔦屋書店にたどり着く。

 外から見ても何かやっているのを察し、よくわからないながらに井⽥幸昌作品集刊⾏記念「Crystallization」を見た。特装版は描き下ろされた作品を200分割された物が表紙となっており、分割前の原作品を目にできるという趣旨の展示らしい。寡聞にして知らない方なのでさっと見ては通りすぎ、出た所にあるコミック売り場のラインナップを確認する。コミックのラインナップが銀座らしさとは何かを表している気がして好きだ。いかにもなオタク感が脱臭された感じが、自分が足を向ける他の場所ではあまり見ることが無くて新鮮で面白い。

 THE CLUBのライアン・サリバン個展に行こうとして、事前予約制なのを見て断念。一日の行程を組む段階で予約するべきだった。スターバックスの脇でやっていた品川亮個展「Nature’s first green is gold,」を見る。日本画らしい画面の中に、日本画とは離れた大胆な筆触の花が咲いていて、ミスマッチなようで馴染んでいるけど違和感をそこはかとなく感じる作品が、今の絵画として出していく一つの手段なのかなと。美術を見るよりは書店を楽しむ時間の方が長かった気がする。

 

 

 梅津庸一キュレーション展「フル・フロンタル 裸のサーキュレイター」

 時間があればgggで「TDC 2020」を見る予定だったが、時間が無かったので駅へ向かう。神田駅へ移動し、日本橋三越本店まで歩く。移動距離がそんなに変わらないだろうから、道がわかりやすい東京駅から歩く方がよかったかなと方向音痴な身として思いつつ歩いていた。東京駅周辺は何度も歩いたことがあるが、神田駅近辺は不案内だ。危惧していたほど迷うことなくあっさりと到着。中央ホールの『天女像』をじっくりと見たのは初めてだ。何度か来たことがあるはずだが、エレベーターにすぐに乗ってしまうので目玉のこの作品をあまり目にしたことが無い。像を正面にすると、百貨店といういかにも豪奢な空間に身を置いていることを感じ、自らの場違い感を覚える。百貨店で展示を見る時はいつもこの場違い感と戦っている。

 何階にギャラリーがあるかきちんと覚えていなかったので、エスカレーターで階ごとに案内を確認しながら上って行く。微妙な入りづらさに臆さず、コンテンポラリーギャラリーに入っていく。展示の案内を受け取り、作品前に説明を読むか……と読み始めたところで、情報の物量に圧倒され、内容的に展示見ないとわからないなと察したので作品を鑑賞する方に意識を集中する。いわゆる既存の美術批評の文脈上の整然とした配列ではなく、造形にフィーチャーして作家性や作品を見て行こう、そのために色々並べるよという展示とざっくりと把握し、作品を眺めていく。個々の作品名がそれとすぐにわかる形で配置されていない。章立てごとの説明キャプションの情報も読んで頭に入ってこない。何だかわからないことだらけの中で、順番に作品を見て行くが、鑑賞というほどに至っていたかどうか。とっかかりのある美術作品ではない、よくわからない不気味さすら感じ得る空間の中で、唯一安心感を覚えたのが見覚えのある麻田浩の作品であり、それが自分にとってのこの展覧会の第一印象に終わった。また伺う機会があれば、展覧会以上に個々の作品に向き合っていければいいのだが、今週末で終わってしまうのでおそらく再訪機会はない。

 

 

 

 タイムスケジュールをきちんと組んでいれば、もう少し回ることができたのだがまあ仕方ない。癒しを得られたかはわからず、美術が好きで真摯に見ている訳でもないが、それでもこういう一日を過ごしたくなる気分が時たまやってくる。博物館もまた行きたいね。またいつの日か。