能装束と歌舞伎衣裳

 20日水曜日に文化学園服飾博物館に行った。ぐるっとパス無料の展覧会で内容としても興味があったものの、土曜日は時間が無くて回り切れず、気づけば会期が終わりに近づいていたので慌てて行くことにした。16時が入館期限で16時半に閉館するので、新宿歴史博物館を見た後だと間に合わなかったんだよな……。

 

 

 18日~22日の間、文化学園ウクライナ民族衣装展示会があることをTwitterで知ったので、ちょうど都合がよいので先に見に行く。ウクライナ国内の各地域の民族衣装が展示されていた。世界の民族衣装にもウクライナという国もよく知らないため、確かにそれっぽい衣装だなあという感想のみで終わる。自分の中にある東欧イメージの民族衣装ではあったが、ヨーロッパの別の国と言われたらそんな気もする。日本の民族衣装は何だろうとふと考えたが、着物ということになるか。中韓の民族衣装のイメージと日本の着物のイメージを一致させて考えはしないが、欧米から見たアジアの民族衣装の印象はどれも同じものなのかもしれないと、ウクライナの民族衣装を見ながら考えていた。衣服への興味が薄い故、こんな感想になってしまった。さらっと展示されていた衣装を眺めて出た。

 

 ということで、本題の「能装束と歌舞伎衣裳」。文字通り、能装束と歌舞伎衣裳が何点も展示されていた。能の鑑賞経験は2回ほど、歌舞伎は10~20回ほどなので、歌舞伎衣裳に興味があった。ぐるっとパスで入館。展示室は1階と2階に分かれており、1階が能装束、2階が歌舞伎衣裳の展示がされていた。まずは2階からとのことで階段を上る。

 

 展示室に入って左側の『青砥稿花紅彩画』の白浪五人男の衣装から、奥の方へ進んで時計回りにぐるっと見て行く。白浪五人男は観たことがない。5人それぞれの衣装は、名前や謂れにちなんで図柄が決まっていることを知る。弁天小僧菊之助の衣装に琵琶と菊が描かれていたりとか。琵琶は弁財天の持つ楽器。それにしても、はっきり明快でごちゃごちゃしていない柄だ。歌舞伎らしい。

 そのまま進んで四天、小忌衣、ぶっ返り、彫り物丸肉と、歌舞伎独特の衣装を中心に見て行く。四天は「よてん」と読み、衽が無く裾の両脇が割れた衣装をいうらしい。「馬簾」という飾り房が付いた物もあり、華やかな動きを演出するとのこと。房付きの物は観たことあるかなあ?あまりピンと来ないが、多分ある気がする。小忌衣(おみごろも)は、位の高い武将が御殿などにいる時に着る衣装で、法衣と長羽織を合体させたような物。これは何度も眼にしている。ぶっ返りは妖怪が正体を現す場面や、役の性格がガラッと変わる場面で用いられる衣装の形態で、仕掛けで裏返ることで内側の模様が現れる物。『鳴神』で、雲の絶間姫に騙されてキレる上人の衣装が展示されていた。仕組みはシンプルだし、展開からしてそうなることがわかっていても、おおっと感動できるのが歌舞伎の強い所だと思う。彫り物丸肉は刺青を描いた肉襦袢。

 まな板帯や着物の下絵の展示を見て、『東海道四谷怪談』の衣装を見る。お岩と佐藤与茂七。四谷怪談はいつぞや観たな。戸板返しにぎょっとした記憶がある。途中で歌舞伎と庶民の風俗について、浮世絵と共に小さな解説コーナーがあった。人気女形上村吉弥の帯の結び方・吉弥結びが流行するなど、役者の着物デザインが江戸時代に流行したらしい。役者絵が盛んに作られたり、亡くなった際に死絵が描かれたりと、歌舞伎役者の人気がすさまじかったのは知っていたが、ファッション面でも影響を与えていたんだなあ。納得はする。

 松羽目物について、歌舞伎と能の衣装の比較をするコーナーがあった。『連獅子』と『石橋』、『操り三番叟』と『翁』、『京鹿子娘道成寺』と『道成寺』の3作品×2の比較(挙げた前者が歌舞伎、後者が能)。歌舞伎の衣装の方がくっきりはっきりしている印象だった。後は、『助六由縁江戸桜』の揚巻・助六・意休、『藤娘』の藤の精、『仮名手本忠臣蔵』の桃井若狭之助・高師直・塩冶判官の衣装が展示されていた。意休の四神の意匠の白虎が猫みたいで少しかわいく見えたり、通しで一通り観た忠臣蔵衣装に観劇の記憶を呼び覚まされたりしていた。こんな衣装だったなあ、桃井若狭之助の浅葱色の衣装は思いっきり性格を表しているよなあ、高師直と塩冶判官の袴の裾が長くて歩きにくそうだなあと、改めて思っていた。

 

 1階に降り、能装束の展示へ移動。一番最初の概要説明パネルで、能は大名が庇護したことで衣装が豪華な物となったと記されていたが、最初期の世阿弥の晩年は弾圧で酷い物だったような気がする。まあそういう時代も経て今に至るのだろうが、今でも能は歌舞伎よりかはマイナーな印象を拭えない。

 こちらは特定の演目の衣装ではなく、全般的に用いられる衣装の展示だった。唐織、舞衣、厚板、繰箔、摺箔、袷狩衣、袷法衣、側次、半切。個々の衣装の印象が強かったわけではなく、総体として優美さや風雅を感じていた。個を際立たせるための歌舞伎の衣装とは異なり、能という空間の中の一風景として映える衣装だと感じた。

 途中で『千代田の大奥』という江戸城大奥の暮らしを明治期に描いた錦絵シリーズの一枚が展示されていた。「御能楽屋」という、大奥での演能を描いた作品。見ていて疑問に思ったが、大奥の人間は歌舞伎を観たのだろうか。大奥でやるには歌舞伎に要する舞台空間は広すぎるから無理として、庶民芸術の要素が大きかったイメージの歌舞伎は、どのぐらいの身分の人に受け入れられていたのだろう?

 

 

 今回はこんな感じ。11月29日までなので興味のある方はお早めに。