人形劇、やばい!

 ここ数ヶ月程寝落ちして電気を点けっぱなしのまま土曜日を迎えている。起きる時間が早いならまだ良いのだが、それでいて起床時間がそれほど早くない。その上、布団の暖かさを甘受していると二度寝・三度寝と繰り返し、覚醒するのがいよいよ午後にまでもつれてしまう。午前から予定を組んで何処かへ出向くべきだな。

 

 21日土曜日もそんな朝を迎え、ようやっと家から出たのは14時過ぎ。展覧会の案内を見た時から絶対に行くと心に決めていたものの、機会に恵まれないまま会期終了間際となってしまった早稲田大学演劇博物館の企画展を見に行くことにした。電車を乗り継いで早稲田駅に到着。早稲田の地に足を踏み入れるのは3~4年ぶりぐらいか。駅からどちらの方向へ進めばいいかすらもはや忘れていた。当て勘で歩みを進めると見覚えのあるキャンパスに無事辿り着く。キャンパスマップで目的地の早稲田大学歴史館の場所を確認して歩き出した。早稲田大学は大きいな。大隈重信像を目にするのも久々だ。

 道に迷うことも無く早稲田大学歴史館に到着。事前に確認するまで、ずっとえんぱくで展示をするものだと思っていた。初めての建物だが、常設展の早稲田大学の歴史云々にはあまり興味をそそられず、今回目的としていた企画展示の部屋へとさっさと向かう。ちらりと常設展を覗いたが、早稲田大学の大学としての所属意識というか学生愛の強さを感じる濃密な展示のようだった。こういうのは誰かとてきとうに駄弁りながら軽く見て行きたいな。

 

 

 企画展示は建物の中の一室だけだった。早稲田大学演劇博物館による特別展で、人形劇に関する展示。 第1章は「人形劇、かっこいい」と題して、日本に現代人形劇が紹介された頃の説明と資料が展示されていた。1923年に麻布の遠山静雄邸の試演会で若者らによって『アグラヴェーヌとセリセット』という人形劇が披露されたのが、日本における現代人形劇の始まりらしい。日本における人形劇といえば江戸期に盛況だった人形浄瑠璃が思い浮かぶが、こちらは舞台に人形だけが見える糸操りの人形劇のようだ。ヨーロッパの現代演劇から影響を強く受けていたのも特徴で、とりわけエドワード・ゴードン・クレイグの『俳優と超人形』が重んじられたと。「俳優は去り、その地位に無生物の像がつかなければならない。彼がもっと良い名前を手に入れるまで、我々は彼を超人形と呼ぶ」という過激な主張がなされた演劇論。人間の演者による劇の先に、人間を超えた存在として演劇空間に人形が演じている劇を見て、それを目指していたのだろうか。

 この上演の前日譚として、1894年にダーク座という人形劇一座が来日した話も解説されていた。不気味な骸骨が複数現れて舞い踊る演劇で多くの観客を集めたそうだ。ダーク座の操り人形が展示されていたが、思いっきり骸骨。展覧会チラシに載っていた奇妙な骸骨はこれだったんだ。糸が結ばれた場所は多く、うまく操ればかなり自由な動きをさせられただろう。実際、首や手足の骨が空中に乱れ飛んでは瞬時に元に戻る「骨寄せ」という仕掛けは観客を驚嘆させたらしい。

 このダーク座の演劇を見て、5代目尾上菊五郎が演劇を真似て『鈴音真似操』という、糸操り人形を演じる演目を披露した話が興味深い。人間の肉体を超越した人形を人間が演じた訳で、人間によって操られる人形を人間として演じたのだから。そういえば、今年6月に国立劇場で観た歌舞伎の『神霊矢口渡』でも、演者が浄瑠璃人形のように振る舞う「人形振り」と呼ばれる演出が取り入れられていた。人形がする人形的な動きを人間がしていることはやはり新鮮だった。人の人らしい豊かな動きのバリエーションに対して人形はあくまで人形としての物らしい動きをし、物として人を超越した動きや人に近しい動きをするのが人形で、それが人形劇の魅力なのではないかと思う。人間が人形に擬して演技することで、逆に人が物として動く面白さがあるのかなと。まとまらなくなったが、非人間的な動きを人がしていることによる意外さや面白さはあり、物として人を擬する人形を人間が真似ようとする二重構造に意味があるのだろう。

 あとは、小絲源太郎のお人形座の第一回公演の番組で『正チャンの冒険』の人形リストにリスやボウフラがいたのに気を引かれた。人間以外の人形も当然使われていたんだね。ボウフラの人形ってどういうのなんだ?同じ公演では『文福茶釜』もあった。これも人じゃない人形だな。

 

 第2章は「人形劇、動員される」。人形劇の政治性や社会性の側面を表した資料が展示されていた。遠山静雄邸の試演会に参加したメンバーを中心に結成された人形座の旗揚げ公演『誰が一番馬鹿だ』は、資本家が労働者達に糾弾された挙句、自身のこれまでの振る舞いを自戒して幕切れという内容。人形座の公演に足を運び、人形劇に強く関心を持っていた前衛芸術家の村山知義の美術志向が、三科で人形劇に携わった後にMAVOを経て最終的にプロレタリア芸術に至ったという話からも、人形劇で培われた批判精神が生きているように感じる。

 戦時中に人形劇が政治利用として動員されたという説明も興味深い。1941年、大政翼賛会を後ろ盾とする移動人形劇場設立。1942年、翼賛会部下に人形劇研究委員会が発足。国威発揚の道具として人形劇が動員されていく。都市・農村を問わず大人から子供まで参加者自身が人形劇の担い手となることが前提とされた。手軽に使える指使い人形が作られて教本が整備され、集団で劇を作り上げていく喜びを分かち合い、一丸となって戦時体制に挑む協同精神を培うための物となっていく。

 戦前は左翼思想の宣伝、戦時中には戦時思想の醸成。娯楽でありながら、糸の操り手によって付される属性の何と違うことか。演者が人ではなく、物たる人形であるからこその性質なのか。現代人形劇が日本へ導入されて広まっていったことに人ではない革新性という意識が前面にある訳で、単なる娯楽以上の存在であることを人形劇は求められているように感じる。

 

 第3章は「人形劇、かわいく過激」。かわいらしい見た目で強烈なメッセージを発するという人形劇の性質について、『チロリン村とくるみの木』と『ひょっこりひょうたん島』を挙げて解説していく。各々の人形も展示されていた。野菜と果物が共存する世界を舞台とし、野菜はプロレタリア、果物はブルジョアという設定が付された前者。現実の問題への問題提起が散りばめられ、身分や価値観の違う者がいかに共生するかまで取り上げた後者。人が言うよりも、人形たるキャラクターが言うからこそ許容される。かわいらしさに惑わされ、苦い問題は緩和されていく。

 『ひょっこりひょうたん島』からサンデー先生とドン・ガバチョ人形が展示されていたが、そのデザインに工夫があるという話が興味深かった。大量の人形が必要となることが想定された結果、こけしのような回転体に衣装を胴体に貼り付ける人形を作り上げた。衣装を縫い上げるのではない。これはろくろを回して作れる形態で、外注して作ることができる人形となっていた。木製人形を作っていた頃に、生産を容易にしたことで独特なデザインが産みだされたという話。

 

 第4章「人形劇、グロくて深い」。別役実の『青い馬』と寺山修司の『狂人教育』を挙げ、グロテスクな人形劇を示す。展示されている『狂人教育』の女性人形のグロテスクさにまず目が行った。『青い馬』は、リンゴ盗難の嫌疑をかけられた弟の無罪を証明するため、姉が弟の腹を掻っ捌いて「リンゴが入っていますか」と問うも、この行動で姉が殺人罪に問われ死刑に科せられるという話。『狂人教育』のあらすじは次の通り。家族の中に一人「気違い」がいることがわかり、誰がそうなのかを探りあう。娘の蘭を見て怪しんだ家族が同化して一つの人形となり、やがて家族の人形が出来上がって斧を一振りして蘭の首を飛ばす。人形劇だからこそのグロテスクさ。人では無いからこそできるグロテスクさの一方で、では人が演じるということはどこに意味があるのか、そして人形劇としての物語を紡ぐことはどういうことなのか。

 

 第5章は「人形劇、ひろがる」。現代人形劇における実践に関していくつかの例を挙げる。1975年に劇団風の子が発表したアニメイム。アニメーションとパントマイムを組み合わせた関矢幸雄の造語で、俳優が棒や輪やボールを組み合わせて物に命を吹き込んでいく。人形劇ではないが、物に魂を宿すという営みとして挙げられていた。

 人形劇を街づくりの核とする例も産まれているという。1979年に始まった人形劇カーニバル飯田は、1999年にいいだ人形劇フェスタとして市民が創る人形劇の祭典となって今に続く。2017年初演の『巨大人形劇さんしょううお』の映像が流れていたので観たが、複数の人によって操られる縦3m×横4mの巨大サンショウウオは、複数人で舞わせる龍のような物で、一般に想起する人形のイメージとは大きく異なっていた。

 

 最後に、糸操り人形を実際に体験できるコーナーがあったのでやってみた。糸がつながった十字型の場所を持ち、パネルにあるように動かしてみる。十字架を前にするとお辞儀をし、後ろにすると座る。左右に傾けるとそれぞれの足で足踏みをする。予想していたよりも仕組みはシンプルで、簡単に動かしてみることはできたが、これを命を吹き込む所まで持って行くのがプロであり修練が求められるのだろう。

 

 人が演じること。人形が演じること。人形が演じるからこそ意味があること。人形劇として観たことがあるのは浄瑠璃を何度か観た程度で、人形といえばチェコアニメの人形が思い浮かぶ身だったが、人形劇という視点から演劇における人間と物について考える機会が与えられた興味深い展示で、小規模ながらまとまっている良い展示だった。