肉筆浮世絵名品展 ―歌麿・北斎・応為

 朝夜が寒くなってきたかと思えば、また暖かくなり出す冬らしからぬ東京の冬を過ごしている。暖冬のおかげで今年はまだ暖房を導入していないが、このまま春が来るまで持ちこたえられるだろうか。これまた日付が空いてしまったが、今回は1日(土)に訪れた太田記念美術館の話。

 

 葛飾応為の『吉原格子先之図』が出展されるとのことで、ウェブ版美術手帖で宣伝を見て以来ずっとマークしていた展覧会だったが、気づけば会期が終わり(9日まで)に近づいていたのに気づき急いで行くことに。ついでに渋谷・原宿エリアで展覧会をいくつかチェックし、まとめて巡ることに。原宿へ降り立ち、行程の都合から原宿ACG_Labの原宿小林展「創造の迷図」にまず向かう。原宿駅のこの木造駅舎をここで目にできるのはもう長くないんだね。小林誠のメカデザイン原画や空想の都市図に感動しながらあっさりと原宿ACG_Labの展示は流し、太田記念美術館へ。

 

 

 太田記念美術館に到着したのは13時40分頃。土曜日なのもあってか、結構混んでいる。入館料の700円を支払って入館。まずは入って左手の畳敷きのエリアから。靴を脱いで畳の上で作品を鑑賞するスペースを取っている美術館は他に知らない。畳の上でじっくりとくつろぎながら鑑賞できれば最高なのだが、混雑していて普通に鑑賞するのとそこまで変わらない気がする。

 最初に展示されているのが葛飾北斎の『雨中の虎』、その隣に葛飾応為の『吉原格子先之図』が展示されていて驚いた。今回の展覧会の目玉と言える2作品じゃないか。最初からクライマックスな構成だ。『雨中の虎』は北斎が没年に製作した作品で、虎と言うには少し奇妙な虎が描かれている。胴体に比して首も足も長い。面貌も恐ろしさよりは可愛らしさに近い物を感じた。身体を捻って宙を睨むその先には、この作品と対幅であるギメ美術館蔵の『龍図』の龍がいるらしい。

 隣の『吉原格子先之図』の前へ来て作品を鑑賞する。想像していたよりは小さな絵だった。煌びやかに賑わう世界とそれを外から眺める人々の世界の格差が、光の明暗でくっきりと分かれているのが素晴らしい。今ほど夜が明るくない江戸の世で、夜も無く煌めく場とそうでない場の差は大きかったんじゃないか。昨年は朝井まかての『眩』を読み、東洋文庫北斎展を見た。今回のこの展覧会で、北斎―応為のマイブームがキリのいい所へ来た感じがする。すみだ北斎美術館でも今展覧会やっているんだけどね。『吉原格子先之図』を目にできたのがそれだけ嬉しかった。

 畳エリアの最後の作品は喜多川歌麿の『美人読玉章』。吉原遊郭の遊女が恋文を読む姿を描いた作品。良い作品だとは思うのだが、浮世絵の中でも美人画に対する興味が薄いため、前2作ほど惹きつけられることは無かった。この3点で畳の上での鑑賞は終わり。見始めたところで、職員の方がガラスの曇りを必死に拭っていた姿が印象に残った。

 

 ここからは時系列に沿って浮世絵が陳列されていた。最初はⅠ:初期浮世絵時代の絵師たち。彩色の無い水墨画岩佐又兵衛『小町図』に始まり、菱川師宣、菱川師房の作品が続いていく。風景画が少ないな。古山師重『隅田川両国橋之景』ぐらいだ。初期には少ないのか、コレクションとしてあまり持っていないのか、展示として魅せていく際に美人画を重視したのかどれなのだろう。

 興味を引いたのは奥村政信『団十郎高尾志道軒円窓図』。歌舞伎俳優の団十郎、名妓の高尾、講釈師の志道軒の3人の顔が、丸い画面の中に描かれている。大きく目を見開いた団十郎、いかにもな浮世絵美人の高尾、目を細めてにやりとした表情の志道軒と三者三様の顔をしている。当代のスターが一堂に会した作品と言ってよく、それぞれの職業イメージというか雰囲気が感じられるのが良い。

 

 Ⅱは錦絵誕生から天明・寛政の絵師たち。鈴木春信の『二世瀬川菊之丞図』から始まった。鈴木春信の数少ない肉筆画だそうだ。非常に細長い画面が印象的。この作品と礒田湖龍斎の『雪中美人図』を鑑賞して2階へ上る。

 2階に来て画面全体の彩りが一気に増した感じがした。色世界が広がったというか。階段を上がってすぐの所にあったのは北尾重政『美人戯猫図』。着物姿の女性が、猫に繋がれた紐を引いている絵画。ひっくり返った猫の姿が良いな。紐と言っても、画中では細い白い線がまっすぐ伸びているだけだから、糸のように見えなくもない。

 次に展示されていた勝川春章『桜下詠歌の図』が絵として面白かった。満開の桜の下、短冊に和歌を認める若衆と、それを花見幕から覗く多くの女性を描いた作品。花見幕の上に女性の顔だけ多く描かれているため、『美人戯猫図』を鑑賞しながら横目でこの作品を見た際、女性の生首がずらっと居並ぶ様子に度肝を抜かれた。キャプションを読んでなるほどこういう作品なのかと納得したが、それでも異様な光景だ。若衆の供がふんどし姿で正座しているのが手前に描かれており、尻丸出しの姿が否応なく目につくのも滑稽だ。何も知らぬは若衆のみ、世界は馬鹿さで溢れている。技法的な話では、幕の切れ目から着物の色が覗く趣向になっているらしいが、画面全体の面白さが個人的には全てだった。

 あと印象的だった作品を数点挙げよう。鍬形蕙斎の『桜花遊宴図』は、画面を斜めに桜の木が貫いており、桜の木の上から画中世界の盛り上がりを眺めているような見下ろした構図。浮世絵は横から世界を眺める構図の印象が強く、こういう立体的に上から見る構図は珍しい。何というテーマでもないが、喜多川月麿の『美人花見の図』には思わず笑ってしまった。女性5人の花見道中を描いた作品だが、現在のおばさん達の遠足だよなあと思うとおかしさが込み上げてしまった。いつの時代も変わらないものだ。最後に窪俊満の『雪梅二美人図』。色彩がほとんど用いられない、濃淡墨で描かれた作品。女性が持つ傘の色の乗らないのっぺりさが心に残る。降り積もった雪の表現だろうか。

 2階に上がってから、壁に展示される作品群と通路を挟んで置かれていたショーケースには絵巻物が展示されていた。ここは特に印象にも残らなかったので割愛。

 

 Ⅲ:文化・文政から幕末・明治の絵師たちに移る。歌川広重葛飾北斎の作品が満を持して登場した。印象に残った作品をいくつか挙げていく。歌川広重の『日光山裏見ノ滝』。滝の裏側から滝を見る旅人が描かれている。こういう裏見が今でも出来る場所はどこかにあるのだろうか。一度見てみたいところだ。それに限らず、また滝を見に行きたいな。

 河鍋暁斎の『達磨耳かきの図』は、耳かきされている達磨の表情が良い。くすぐったいような、場面を覗かれた恥ずかしさのような、それでも威を保とうとしているような、厳しくはない何とも言えない表情。

 月岡芳年の『雪中常盤御前図』。画面の背景と同化したような着物や笠に、雪の強さを感じさせる作品。たなびく木は風の強さを感じさせ、常盤御前の厳しい道行を伝える。雪のことばかり書いているな。

 あとは小林清親『開化之東京両国橋之図』。最後の最後で浮世絵っぽさが薄れた新しい時代な絵だ。両国橋や行きかう人々、渡る舟を黒いシルエットでまとめ、提灯の灯りがぼんやりと燈っている絵画。縦長の画面で、両国橋を下から仰ぎ見る構成となっている。国立劇場で12月に観た歌舞伎の『蝙蝠の安さん』を思い出した。チャップリンの『街の灯』を歌舞伎に脚色した作品で、主に物語が展開される場所が橋だ。主人公のその日暮らしの蝙蝠の安が暮らすのは橋の下、身投げする裕福な商人を助ける場も橋、花売り娘と運命の出会いを果たすのも橋。夜の暗くなった橋で展開される劇で、ちょうど橋の下から見上げるこの画中世界が、この劇を思い起こさせる。

 

 Ⅲが始まる辺りのショーケースまで戻り、Ⅳ:扇の名品―鴻池コレクションを見る。歌川豊春『常盤御前』を見て、おお月岡芳年と同じ主題だと見入ってしまった。こちらは降る雪の中に座っている構図。

 

 

 という感じだった。風景画や名所画などがあまりなかったのは、肉筆浮世絵の範疇ではなく版画浮世絵の範疇なのだろか。美人画にそこまで興味がそそられず、それらの作品の前では着物の煌びやかさだけを眺めて終わってしまったのはやや残念。クライマックスが最初に来てしまい、どうなるかなと思っていたが、知らない画家や作品で食指が動き、全体として満足度が高い展示だった。欲を言うともう少し空いている時に来たかったがまあ仕方ない。ではまたいつか。