家具の博物館

 緊急事態宣言が発令され、美術館・博物館は当たり前にどこも閉まってしまった。図書館も予約資料受け取りすらダメになり、そもそも家から出るなというのがスタンダードな世情、なんだかんだで外歩きが好きな身としては辛い物がある。まあそれでもなお、1日に1時間ちょい歩く散歩はたまにするんだが。今回はそんな緊急事態宣言前夜の4月7日(火)に訪れた家具の博物館の話。

 

 立川駅から分かれる枝の一つ青梅線。立川から3駅の中神駅に着いたのは13時40分頃。乗車段階で青梅線方面の電車が来てくれてよかった。降りたのは初めてだ。改札を出ると、「あきしまくじらのあんないばん」と銘打たれた、昭島市の地図が載ったクジラの地図が目に入る。昭島はあまり馴染みが無いな。駅の外へと繋がる階段の脇には、中神工業団地案内図があった。なるほど、この辺りが東京の工業エリアなのか。グリコ乳業敷島製パンの工場を地図の中に見つけ、今なお人が集まって稼働しているのだろうなあ。閑散とした街中を歩くこと数分程、フランスベッドの大きな工場敷地を眼前に、脇の入り口から建物へと入って行く。今日の目的地、家具の博物館だ。

 

 

 入口でアルコール消毒をして入館。入館料の200円を支払い、チケットと館内パンフレット及び博物館だよりをもらう。後で確認したら、博物館だよりは4号分もいただいていた。ありがたい話だ。受付の正面に鎮座していたクラシカルなソファが印象的。

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博物館だより4号分と衣裳ダンスの写真が載った入館チケット

 そのまま直進して展示に入っていく。初っ端から木材標本に触れられる展示コーナーから始まった。コーナーの上に貼られた木の名の漢字で埋まったシートを軽く眺め、段の上から木材標本を順々に手に取って触っていく。漢字シートは半分ぐらいは読めたが、見たことすらない字もいくつかあった。印刷されたプリントをもらって漢字への意識は早々に追い出し、木の重みを、肌触りを、色合いを感じていく。木にも家具にも詳しくないので、それぞれの木材の特性を新鮮に感じる。クリやニレは軽い。あった中ではキリが一番軽い。マホガニー、ラワン、チークなど、漠然と名前だけしっている木材にも触れ、最後にコクタンの重さを感じる。導入から結構楽しんでしまった。まだ家具を見ていない。

 このコーナーでは、木の名の漢字の横に貼られていた、木に関する言い伝えのシートも印象深い。センダンは棺桶にする木なので忌む。ツバキは首が取れるように花が散るなどの理由から道具の材料とするのを忌む。 エノキは神が宿るなど、凡俗に過ぎた木なので、伐って用いると貧乏になる。囲炉裏の炉縁をナシの木で作るのは、四ツ木梨、すなわち世継ぎ無しに通じるのでならぬ。民間の言い伝えは面白い。

 

 先へ進む。最初に見た家具は明治・大正期のサイドボード(食器戸棚)。アール・ヌーボー調の植物の彫刻装飾が目を引くが、それ以上に、細かな傷がいくつもある所に、実際に家具として使われてきたんだなという感慨が湧いた。家庭の中に確かにあったんだなと。お隣には戦前・昭和時代の鋳鉄製のベッドがあった。何も載っていないフレームのみなので、ベッドらしいぬくもりを感じる物ではないが。昭和10年頃購入、平成13年まで使用していたらしい。平成13年というと2001年。2000年過ぎまで使っていたと思うと割と最近な印象を感じたが、それでももう20年前か。20年で家具はどう変わったのだろう。リアルタイムで変化を意識するほど家具に興味が無いのでよくわからないが、ベッドも基本的な構造自体が大きく変わった画期的な物が産まれている印象は無い。どうなんだろう?

 ここでも展示の解説パネルが興味深かった。ベッドの普及について解説したパネル。昭和初期までベッドは病院やホテル、ごく一部の知識人だけが用いる物で、本格的に一般に普及したのは第二次世界大戦後だという。昭和30年(1955)に双葉製作所が昼はソファ、夜はベッドに組み替えられる簡易型分割ベッドを発売し、これが女性を中心に若い世代にヒット。昭和40年代に本格的な一本ベッドが普及したと。世帯別のベッド普及率は、1966年には13.1%だったのが、1999年には56.7%に上昇。そして、ベッドの普及は専用の寝室を家屋に設けることに繋がり、開放的だった日本の住宅の個室化の大きな要因となったらしい。家具が家の構造を変え、それはおそらく生活スタイルを変えたんだろう。個室化されたということは、家の中で独りになれる時間を過ごせる場所ができたということだから。布団からベッドへの生活スタイルの変容が、住宅を、生活を変えていったとは考えたことも無かったな。こういう新たな思考との出会いがあるから博物館めぐりは止められない。

 

 壁側に家具が陳列されている向かいでは、家具の博物館の椅子コレクションが展示されていた。館として200余りを所蔵しているらしい。工芸指導所のイスの展示エリアから。イサム・ノグチがデザインしたスツールがまず目に入る。3本の反り脚は、古代中国の盃の脚の断面をモチーフにしているらしい。確かに、スツールの脚部が古代中国の青銅器の鼎を思わせる。教務用室プロトタイプ、食堂椅子、肘掛椅子が続き、学業用パイプ椅子と机のキャプションに目が吸い寄せられる。この机と椅子が、後に全国の学校用家具のモデルとなったと。当たり前といえば当たり前だが、今目にするような学校の机や椅子も起点となったモデルがあることに感動していた。工芸指導所ということは、民間ベースではなく、官側のアプローチとして学校用備品は整備されていったんだな。それはそうか。

 

 壁側に戻る。今度は組手接ぎ(組接ぎ・組継ぎとも)の体験コーナーがあった。箱などを組み立てる際に、2枚の板材を接ぐ方法。シンプルな石畳組接ぎから、様々な蟻型組接ぎを、板材を組み合わせたり外したりして遊んだ。蟻型組接ぎすごいな。しっかり噛み合って外れない。木材の継手は興味を持っていただけに、思いがけず体験できて良かった。ネジも釘も接着剤も使うわけでは無いのに、ここまでシンプルな構造で外れないようになるのだなあ。

 突き当った部屋の角っこは、テレビが置かれたビデオ鑑賞コーナーになっていた。この小さな一角だけでタイムスリップしたかのような感覚を味わった。本が収められたキャビネットに、受付脇で見たソファ、2つのチェアに机。お洒落にお茶会をするような空間だ。テレビが鎮座しているけれど。ビデオの鑑賞は受付に言うと出来るみたいだったが、今日はこの展示空間を感じることに終始したいのでパス。また来る日もあろう。

 

 ここから時代を一気に遡る。内側には、19世紀末のイギリスのドロップリーフテーブルと、同じくイギリスのロッキングチェアが、古びた写真と共に展示されていた。正三角形のテーブルの各辺に垂れ板が取り付けられ、上げ下げすることでカスタマイズできるテーブルと、座席下に引き出しのあるロッキングチェア。

 壁側には1780年頃にスペインの農家で使われた3本脚のイス。カップボード(食器戸棚)、荘重な作りのコートカボード(2段の低い食器戸棚)、カボードセッツル(戸棚付長椅子)、ラダーバックチェアにチェストが続いていく。大きな家具がずらっと並んでいると壮観だ。ラダーバックチェアの脇にあった、ウォーミングパンという道具が面白い。綴りはwarming pan。蓋付きの真鍮製の平らな鍋に長い柄が付いている道具で、鍋の中に熱した煉瓦や鉄の塊を入れ、夜寝る前にベッドを暖めるのに用いられたという。ベッドを暖めるための器具があったんだな。スピンドルバックチェア、サイドチェアなど椅子が続き、奥の角っこにはクラシカルな大きい家具が鎮座していた。バーキャビネット、ロングケースクロック、ジェントルマンプレス(男性用衣裳ダンス)、ライティングキャビネット。壁にはイギリスの家具様式の変化についてのキャプションがあった。ジョージ1世~3世の間がジョージアン様式、トーマス・チッペンデールやジョージ・ヘップルホワイトが活躍し、軽快優美で機能性に優れた家具が作られた。ジョージ3世の晩年が新古典様式、ヴィクトリア女王の時代になると復古的古典様式で機能美から離れ、形態や装飾の著しい誇張が目立つようになるが、19世紀後半になると市民生活に適した新たな家具が作られていく。機能美型の家具の方が好きな感じがするが、ヴィクトリア期の華美さもインパクトの大きさとして悪くない。

 これらの時代を感じる家具の向かいでは、ミニチュア椅子がいくつも展示されていた。菊地敏之が欧米のクラシックチェアを1/5で再現した、菊地コレクションなる物らしい。ウィンザーチェア、チッペンデール様式のイス、ロココ様式のイスなど、20程あっただろうか。こういうミニチュアを見ていると、人形遊びも楽しそうだなとか、模型として部屋などを作っていくのも楽しそうだなとか感じる。

 

 クラシカル家具を目に焼き付けて先に進むと、壁側の展示エリアには仏壇が鎮座していた。一気に感覚が日本へと引き戻される。仏壇のある家で育たなかったので判断しかねるが、豪華な物だなあ。夜具箪笥、座布団箪笥、いずめ(赤子を入れておくための籠、いわゆるベビーベッド)が陳列され、壁には夜着が掛かり、意識が和へと染まっていく。座布団箪笥はなかなか大きく、座布団を入れるためにこれだけの箱を使っていたことに驚いた。ここのキャプションも興味深い記述があった。明治期に綿布団が普及し始めると、押し入れの無い家で夜具入れ需要が湧いた一方、婚礼用の長持は使い勝手が悪く廃れていき、長持に代わる新たな商品として大きな夜具箪笥が産まれたという。確かに長持は使い勝手悪そうだなあ。取り出しづらそうだし。

 

 和の気分のままに振り返って内側の展示エリアを見ると、ウィンザーチェアが何脚か展示されていて、気持ちがまたイギリスに帰っていく。ウィンザーチェアは17世紀後期にイギリスの地方の町家や農家で用いられていた木挽きイスが起源で、上部・使いやすい・味わい深いという三拍子に加え比較的安価な値段から、都市の中流家庭に広まっていったという。1720年代には北米植民地のも渡って行き人気を博したらしい。シンプルで使いやすいのが一番だね。その生産は、1脚につき50~60工程に細分化され、各工程ごとに職人の賃金が定められた分業体制で生産されたと。随分近代的な生産スタイルだ。

 

 さらに進むと江戸時代の商家家具が目に入る。ここからは最後までずっと日本の家具が展示されていた。帳箪笥、銭箱、帳場格子。大きく「す」と書かれた酢屋の看板に、両替屋の看板。梅に薬玉ののれん。ここは江戸の町か。壁側には、大きな水屋戸棚と階段箪笥を後ろに、扇子の意匠の自在鉤に、豆炭入れ、火消し壺、五徳、箱膳、箱火鉢、安全炬燵などが並べられていた。立てても寝かせても転がしても中の火容が水平になるようになっている、六角柱の安全炬燵が印象的。ありがちだけど、こういう構造の道具を見る度に、初めに作った人のすごさを思う。

 中に灰と炭を入れ、火を起こして暖を取る行火(あんか)が展示されているのを見て、巨大な車箪笥と車長持に目を奪われる。デカい。下に車が付いており、非常事態に持ち出せるようにした箪笥と長持で、明暦の大火の際にはこれの大渋滞となって被害が大きくなる由縁となり、何度か禁止令が出された代物だ。続いて壮麗な衣装箪笥がいくつか並び、箪笥にあしらわれる文様の解説パネルが長々と続く。しっかり読む元気を失いつつあったので、てきとうに流しで読み、箪笥を眺めていく。

 

 また時代が転換し、昭和期の家具の展示コーナーに入る。相引という、歌舞伎などの舞台で用いられる腰掛けの組み立てコーナーがなぜかあったので、ばらされた部品を腰掛へと変え、昭和気分を味わいながら進んでいく。ちゃぶ台、柱時計、洗濯板、折り畳み勉強机など。イスとソファーの応接セットが展示され、ケースに入った船箪笥をいくつか見て展示は終わった。最後のエリアの途中から、これはスタート段階で展示順路を逆走して見て行ったんじゃないかと勘繰ってしまった。エリアによっては戻って見るのも良かったかもしれない。

 

 

 ということで、200円の入館料にしてはかなり楽しんだ。他に誰も来館者がおらず、贅沢な時間を過ごせたのも良い。美術館などの展覧会で家具を見る機会はそれほど多くなく、展示されるような歴史的な家具をこれだけ見ることもほとんど無いし。展示替えがあるのかもしれないが、全体としてはイギリス家具と日本家具がメインだったので、他の地域の家具については調べてみようかな。家具文化に興味も湧いたしな。

 この後は昭島駅まで歩き、駅前の観光案内所で昭島市のマンホールカードをゲットして帰宅した。次にこの近辺に来る時は、 昭島・昭和の森 武藤順九彫刻園に訪れたいところ。もう今月展覧会に行く機会はおそらく無く、来月もどこかに行けるかどうか怪しい所ではあるが。文化の燈が絶えないことを願って。