展覧会巡り2020年10月3日

 コロナ閉館ラッシュも多少は収まり、図書館も美術館・博物館も大体の施設が通常開館するようになってきた。今まで予約文化に生きて来ず、前日にパッと予定を組んで展覧会旅程を決める身としては、事前予約無しに入場できない展覧会に辟易するが。今まで予約形式のイベントにあまり行ったことが無い人生を送ってきたせい。大学博物館は依然として閉館中だったり、開いていても学内生以外は利用できなかったりと、気楽で充実した博物館巡りにはまだまだ遠いものの、ここ数ヶ月で行ける範囲はぐっと広くなった。

 先週土曜日に色々巡ったので久々に記録を書いてみる。以前書いた一日徘徊記録は渋谷~原宿と銀座・日本橋だったが、今回は東京駅から銀座の方へ南下しながら色々見て回ることにした。一日同行してくれた友人に感謝。

 

 

 

 もうひとつの江戸絵画 大津絵

 スタート地点は東京駅を出てすぐの東京ステーションギャラリー。招待券が当たったので友人を誘い、ついでに展覧会巡りで銀ブラしようというのが今回のプラン。東京駅に来るのが久々で、とりあえず丸の内側出口をてきとうに出れば場所はわかるだろうと南口から出てしまった。久々に目にすることとなったが、やはり東京駅の建物は良い。東京オリンピックまであと何日という掲示を横目に、待ち合わせ場所の美術館前に無事到着。五輪に思い入れは特に無いが、五輪のもたらす物がコロナ後の世界でどう作用して行くかは見たい気もする。良くも悪くも物語として安易に消費されて終わって欲しくは無いが。

 ちょうど13時頃に入場。要事前予約の展覧会だが、招待券を持っている人は当日入場ができる。荷物をロッカーに預けてエレベーターで3階に昇る。エレベーターを降りて驚く人の波。予約制の展覧会とは思えない。人の溜まる入り口部分はさっと見て、先へ流れた人が薄くなったタイミングで戻って鑑賞スタート。初っ端に浅井忠の言葉が引用されていて、大津絵が洋画家に注目されていたことに驚く。大津絵といえば、博物館の展覧会などで数点が添え物的に展示されている物で、浮世絵などとは異なる文脈の民衆絵画という程度の知識しかなかったが、説明を読んでようやく大津絵の何たるかをきちんと理解する。大津絵は江戸時代初期に土産物として東海道の宿場・大津近辺で職人らによって量産された民衆絵画らしい。民衆文化や歴史資料の側面で捉えられてきた大津絵を美術として魅せられるかというのが今回の展示趣旨のようだ。今回の展示は大津絵を所蔵者ごとにまとめて展示する形式で構成されており、単なる大津絵展のみならず大津絵コレクター展という側面がフィーチャーされていた。最初に驚いた浅井忠に限らず、梅原龍三郎など洋画家に受容されていた他、海を越えてなんとピカソまでもコレクションしていたという。展示は大津絵が受容され始めた頃から、芸術家のコレクションとして大津絵展が行われた流れを見ながら、柳宗悦による民藝としての側面を紹介し、戦後期のコレクターについて見ていく構成。

 大津絵を高尚な美術作品として鑑賞してすごいと感じることは大して無かったが、一昔前の絵本のような印象を受け、漫画を思わせる絵、コミカルに軽く楽しめる絵として面白い絵は多く、いちいち絵に突っ込んで笑っていた。詳しくなかったので初めて知ったが、大津絵はテンプレ画題がいくつかあり、展示も同じ画題・構図の絵がかなり多かった。『鬼の念仏』と『外法梯子剃』は何枚見ただろうか。ネズミがやたらと大きな盃で酒を飲んでいる絵や、ツーショット写真の構図に見えなくもない相撲の絵などが個人的には好み。アトリビュート的に源頼光の頭に鬼が描かれた結果、鬼が憑依していたり、鬼の被り物を被っていたりするように見えるのも面白かった。アトリビュートといえば、弁慶の頭の上にざっと描かれた七つ道具の雑さに、大量生産絵画という大津絵の特性を実感した。来迎図で仏の周囲に描かれる光の表現が、あまりにもシンプルな直線3本の光で、安っぽい集中線に見えたのにも笑ってしまった。

 絵の描き方の興味としては、弁慶の顔や肌の色合いが灰色に近い色合いで、力自慢の男の赤ら顔ではないのだなと思ったり、鷹匠の描かれ方が若衆と同じ美男子カテゴリーで描かれていたりしたのが興味深かった。この時代における鷹匠という職業イメージは、そういうタイプの物だったのかな。槍持奴のような描かれ方とは違う。鷹匠のキャプションの英語表記がfalconerで、鷹はhawkだったよなと思い返しながら、西洋での狩りについて調べたくなった。

 展示全体としては、コレクターの存在を明示しながらも、美術として大津絵を見せきることはできたかと思うと微妙な印象を抱いた。美術家であるコレクターの言を引くのは良いのだが、その結果として何か影響を受けたのか、何を美術的に評価したのかなどは展示からは見えづらい。展示品の所蔵館を気にしながら見ていたが、博物館の所蔵が目立ち、蒐集する対象としても資料としての扱いの方が強いのかなと感じた。単純な絵としての面白さの外で展示品を見た際に、これは当時の文化を反映しているのかなと感じるなど、やっぱり美術というよりは資料目線で鑑賞していた。美術として美術品を見る態度が育まれていないのもあるが。とはいえ、大津絵をまとまった物量鑑賞することができたのは貴重な機会で、間違いなく来てよかった展示だと思う。同行者が面白さを感じて注目する作品が違う所に、やっぱり誰かと来てよかったなあと。この展覧会は、人によって好きな絵は結構変わってくる気がする。

 

 

 危機の中の都市 COVID-19と東京2050(β)

 丸の内側を南へ下り、GOOD DESIGN Marunouchiへ。事前予約でファストチケットが手に入る展示ながら、前日夜の段階で結構空いている時間帯が多く、余裕があれば予約無しでも入場できるみたいなので予約はせず。大津絵展を見るのにどれだけ時間を要するか見積り切れなかったのも一因。初めて訪れた展示スペースで、外から中の展示を見た第一印象は大学の学園祭発表のような感じ。大津絵展を見た後に空きを確認すると、相変わらず満員では無いようで、すんなり入場できた。

 過去の災害史による人口推移の年表と関東大震災による焼失エリアが塗られた地図を見ながら、関東大震災が如何に甚大な被害だったのか、戦災によってどれだけの人口が失われたのかを改めて実感する。コロナによる昼間人口の推移などがまとめられたパネルを眺め、春から今までの生活について友人と話した。展示空間の中央に置かれた、将来の日本像をグラフとして立体的に表した地図が印象的。日本地図の各自治体の場所に、棒グラフ状に現在と比較した2050年の人口状況が示されていたが、東京エリアに高く高く伸びていくポールに比しての地方の低さ。大阪や名古屋に比しても東京が圧倒的に高い。数字を視覚的にわかりやすく突きつけられると現実の重みが増す。内陸住みが続いたことで、海側近辺の展示は実感薄いままにさらっと流したが、現状把握という点で学ぶ所の多い展示だった。

 

 

 ポーラ ミュージアムアネックス展2020 –真正と発気–

 同行者がコンビニで昼食を買いに行くとのことで、道中の東京商工会議所の建物へ入る。来年のNHK大河ドラマ『青天を衝け』のパネルが展示されていて、そういえば渋沢栄一が主人公だったなと思い出す。渋沢栄一銅像も建物内にあった。建物近辺のベンチで食事をしながら、大津絵展の感想を話し合う。誰かと展覧会を回るとこういう話ができるのが良い。それにしても、街中で座って話せて食事もできるこういうスペースがあるのはありがたいな。家の近所ではコロナの影響でそういうスペースが撤去されてしまって困る。線路の反対側へ出て、少し歩いて目的地へ到着。幾度となく来訪しているポーラミュージアムアネックスだ。これまた事前予約をしていなかったが、ちょうど空いている時間帯ということですんなり入場。15時過ぎぐらいだった。

 寺嶋綾香・太田泰友・半澤友美という3人のアーティストの作品展示。寺嶋綾香による、Dokiという色々組み合わせた現代土器な粘土作品や、紙の原料たる植物繊維から布のような物を再構成した半澤友美の作品も展示されていたが、3人の中で一番興味深かったのは太田泰友によるブックアート作品だった。本の形をした木片が樹の枝に食い込むように展示されている作品や、一枚のパネルごとに果物の断面を描き、本として果物を創り出した作品、家具類にparasiteする本。本の各部を指す用語に建築用語が使われるように、本は建物と同じような所がある。本を構成する紙が木材チップから作られるのも含めて、個々の作品が本の新たな側面を開く展示として興味深かった。本はあらゆる事物を記述するという点で、本自体が家具や木をその内に取り込んで身にしていくこともできるのだ。

 

 

 「ベゾアール(結石)」シャルロット・デュマ展

 銀座という空気が強くなった街並みを歩いて行く。次に向かったのは、銀座メゾンエルメス8階にある銀座メゾンエルメスフォーラム。来るのは3回目で、前回と同じく店舗外のエレベーターからの入館。コロナ状況が解消されたとしても、店舗内エレベーターから入館しないこのシステムは継続してほしい。店に用事があるのではなく、あくまでも展覧会を見たいだけなのだから。

 展示としては馬の写真と馬の映像がメイン。馬の埴輪もあり、とにかく馬という存在を感じる展示。与那国島の豊かな自然の中で、少女と馬を写した映像を観ながら、自然に生きる馬の力強さを知る。ただ、10~20分規模の自然映像を集中して観られるほど、自分は動画というメディアに興味が無かった。この展示で一番印象的だったのは、ベゾアールの実物がいくつも展示されていたことか。動物の胃や腸の中に形成される凝固物であるベゾアール。かつては神秘的な存在として取り扱われたこともあるという。主な展示物である映像や写真以上に、ベゾアールに心躍らせ目を輝かせていた辺りが、自分の興味の方向性なのだろう。

 

 

 田中義樹展「ジョナサンの目の色めっちゃ気になる」

 銀座近辺で展覧会を調べていて、何となく目に留まった展覧会で今日の展覧会巡りは終了。開催場所のガーディアン・ガーデンに向かうが、入り口がわからず建物周りで右往左往した。地下へ下りる階段を無事見つけ、何だかここ来たことあるようなという既視感がよぎる。似たような立地なだけかもしれないが、銀座で地下に階段で降りて展示を数年前に見た覚えがある。

 入ってすぐに受けた印象は中高の文化祭。特に美術系とかそういうのではない場での。塗りたくったライオンっぽいオブジェがドンと置かれ、金ぴかな絵画が壁に掛かり、十字状に見える無数のかもめが天井から下げられ、所狭しと作品が並べられている。奥にある舞台もきちっとした舞台らしい印象を与えない。文化祭的な手作り感に溢れている。

 ちょうどミニ演劇を上演する時間に入ったらしく、展示をじっくり見る前に観劇することに。毎週定めたテーマに沿った演劇を上演していて、海、原というテーマに続いて今回は雄。展示期間の真ん中辺りということで、いつもは長めの演劇をやっているが、中弛み気味に10分程度の短めの物をやるとのこと。過去のテーマを聞いて、来週は山か?と思ってしまった。いきなり劇を観ることになるとは思わず、困惑から抜け出せないままに始まった。裸の王様をモチーフに、この物語を裸というコンセプトの現代アートとして解釈してあれやこれ……という話と、カブトムシとクワガタムシの対戦ゲーム風の相撲から過去のロシア暴動ってこんなのだったんじゃない?という話。非難者が一瞬で被非難者に変わり、痛々しいほどに公に糾弾されるTwitter空間を思わせたり、コンセプトと言ってしまえばアートとなりかねない危うさや、「正しい」美術教育という像を考えさせられたりするなど、前者は観ていて面白い物があった。帰宅途中に思い返してみると、裸の王様コンセプト説は少し前にネットでバズっていたような気がしたが。後者はまあそんな物だろうなと。面白さは感じたものの、これだけ人の少ない至近環境でパフォーマンスを観る機会に乏しく、場の空気に乗り切れないままあっさりと流して反応しきれなかったのは申し訳ないところ。双方向的な鑑賞態度を取る事物への経験値が少なかったな。演者の方は身体を張ってぴょんぴょん飛び跳ねて足を大分痛めただろうと思う。

 コンセプトの根っこには『かもめのジョナサン』の新版があるらしい。第4章で神格化されたジョナサンに対し、若いカモメはその意思たる飛行技術の追求ではなく、ジョナサンの目の色がどうだとかジョナサンがどういう存在だったかを調べるようになる。面白いことは大体昔の人がやってしまった現代、ジョナサンの目の色が気になるカモメたるアーティストは、サンプリングの中で過去と繋がる瞬間があるかもしれない。そんな感じのことがプリントに書いてあった。大体既出な世界で、それでも何ができるのか、新しさのレッドオーシャンを突っ走るか、過去から新たな価値を産んでいくのか。ジョナサン研究者であったとしても、やはりそこから新たなジョナサンになって行きたいと夢想してしまうのが自分だが、現実として探究者にすら成りえず停滞しているから甘くて辛い。関連グッズが余っているとのことで、半ば強引に一つ持たされた。これを見る度に、演劇を観ては気分がノリ切れなかった自分を思い出すのだろう。

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 色々巡って時刻は17時半ぐらい。夕餉にはいささか早いため、銀座で割かし好きな場所である銀座蔦屋書店へ。本棚のラインナップや店内展示の美術品から上級社会とか文化資本という存在を実感し、友人共々圧倒されていた。普段触れる物とは一段と異なる世界を実感できる点で、この空間に身を置いて色々と摂取していくのが好きだ。海外マンガのコーナーで、読んだことのあるマンガが何冊も目に入り、図書館で閉じていた世界が実社会と繋がったのが個人的に面白かった。

 JR都区内パスを使ってうろうろしているので、食事処探しついでにまた別な文化パワーに触れるかということで秋葉原に移動。銀座の人出も一時期よりは大分増えていたけれど、秋葉原も昔とあまり変わらないぐらい多い。外国人をあまり見ないという点では昔と違うが。アニメイトに寄って漫画やラノベの新刊を見、ビックカメラでおもちゃとプラモを眺め、食事をしてBOOK OFFを眺めて解散。文化という物をひたすら浴びた一日だった。