8月に行った展覧会のまとめ
梅田サウスホール スマイルフェス2024 大阪
寝屋川市立埋蔵文化財資料館 縄文時代体感!―讃良川遺跡出土の遺物をとおして―
四條畷市立歴史民俗資料館
大東市立歴史民俗資料館 新田会所をとりまくヒトとモノ~平野屋新田会所から~
柏原市立歴史資料館 江戸時代の列島改造と国分村-稲垣重綱没後370年-
大阪府立中之島図書館 1/300のたくらみ 景観模型の世界
阪神梅田本店 Kou画集出版記念イラスト展「赫」OSAKA
阪神梅田本店 第3回 イラスト甲子園 2024
阪神梅田本店 potg作品集出版記念イラスト展「日影」OSAKA
阪急うめだ本店 小川貴一郎展“GURUGURU - eye am watching you - ”
津波・高潮ステーション
大阪府立江之子島文化芸術創造センター ~音楽でたどる大阪府の美術コレクション~20世紀のイメージとサウンド2
フィギュア展示イベントのスマイルフェスに始まり、大阪府の自治体の郷土資料館に防災教育施設の津波・高潮ステーションと、今まで行ったことの無かった場所を何ヶ所も周る月だった。お盆の墓参りをした日には、大阪府でも北東部にはあまり行ったことが無いから行ってみるかと思い立ち、午後から寝屋川市、四条畷市、大東市の資料館を巡った。あまり利用したことのないJRの学研都市線に乗ってまずは寝屋川公園駅へ。埋蔵文化財資料館は駅を出て横断歩道を渡ってすぐのマンションの1階に入っていた。こういう場所に資料館が入っているのは初めて見たかもしれない。
入って右側の壁側から奥にかけ、寝屋川市から発掘された石器や土器などの考古資料が時代ごとに展示された常設展示があり、入ってすぐの所では企画展として讃良川遺跡の発掘資料が展示されていた。サメの歯の装飾品が展示されており、今では内陸部にある寝屋川市にまで縄文期には海が迫っていたことに驚いた。土地勘は無いし縄文時代にも詳しくないので、職員の方が熱心に展示を解説してくれて非常にありがたかった。歩いて行ける場所にある史跡を紹介してもらって地図をいただいたので行ってみることに。
駅前に戻って地図を見ながら歩き出す。所々にあった案内板には鉢かづき姫がモチーフのキャラがあしらわれていて、鉢かづき姫が寝屋川市の民話だと知る。地図の下の方にある帰り道から直接史跡を目指すのは上り坂が多くて厳しいと聞いたので、概ね地図の順路通りに進んで行く。途中の住宅地で少し道がわからなくなるも、明光寺の雷神石を見て休憩所を過ぎ、目的地目前の打上神社になんとか辿り着いた。鳥居と鳥居の脇の山道を見て、神社の脇にある坂道の先に史跡マークがあるなと地図を見て、どっちだろうと少し迷って鳥居脇の道を歩き出す。そろそろ目的地に着くかなと思いながら歩いていたら、左側に住宅が見え、間違った道に進んだことにようやく気づいた。引き返して鳥居をくぐって歩くこと数分、炎天下で汗だくになりながら目的地の石宝殿にやっと到着。地図をずっと90度傾けて見ていたため、オレンジ色で囲われた石宝殿周辺図が一切目に入っておらず、ちゃんと「鳥居をくぐる」と記されていたのに気づかなかった。国指定史跡の石宝殿は石を積み上げた横口式石槨という古墳で、底石と蓋石が当時の状態のまま現在も同じ場所にあるのはここが唯一らしい。暑い中で歩き続けた疲労感が強すぎて、史跡と対面しても特に感慨も無く写真を撮って駅まで戻った。資料館からの最短ルートで無くても上り坂は多いので、天候が厳しい時は無理して行かない方がいい。
2駅南に下って四条畷駅。東出口を出ると四条畷学園の文字が目に飛び込んできた。歴史民俗資料館までに歩いた大きな道路は、歩行者スペースや歩道の無い中で車がそこそこ走ってきて少し怖かった。資料館は歴史資料の展示スペースが一室と民具などの展示スペースが一室の構成で、涼んでいってくださいという職員の方の言葉に甘えて休憩してから展示を一周した。日本最古とされるキリシタン墓碑が展示されていたのが印象深い。四条畷まで折角来たので駅周辺を少し歩いていたら、飲食店の店先に謎のサンタクロースのオブジェがあるのをいくつも見かけた。絵本作家の谷口智則が代表作『100にんのサンタクロース』から町のシンボルとなる物を作ろうと始めたプロジェクトらしい。あまりにも暑い日々をどうにか変えるようなプレゼントが欲しい。
1駅下って野崎駅。大阪桐蔭高校の最寄り駅である。歴史民俗資料館までの徒歩10分の道のりの途中でスーパーとドラッグストアがあり、ほぼ尽きかけていた手持ちの飲み物を補充した。資料館の入る建物は旧四条小学校を活用しており、資料館と図書館が入っているほか、体育館とグラウンドが併設されている。近世までの地元の資料を展示した常設展示室の階と、企画展示室のある階に分かれており、展示スペースの広さや綺麗さはこの日訪れた館の中で一番だった。企画展は江戸期の新田開発の際にその経営や管理にあたった新田会所の資料の展示。ここでも四条畷市の資料館でも飯盛山に関する展示を常設展示で目にし、この辺り一帯での三好長慶の存在の大きさを感じた。
寝屋川のさらに先で今回は行くことを見送った交野市は、星のブランコという木床板の吊り橋があるので、駅から遠くて諦めた歴史民俗資料展示室ともどもいつか行ってみたい。まだ行ったことのない能勢町はアスレチックでしか知らないが、いつか行く日は来るだろうか。
8月に読んだ本のまとめ
河﨑秋子『愚か者の石』
坂崎かおる『海岸通り』
向坂くじら『いなくなくならなくならないで』
駿馬京『あんたで日常を彩りたい』
宮澤伊織『裏世界ピクニック』9巻
阿部芳郎編著『縄文時代を解き明かす 考古学の新たな挑戦』
オラシオ『図書館ウォーカー2 旅のついでに図書館へ』
笠井亮平『インドの食卓 そこに「カレー」はない』
電通PRコンサルティング『企業ミュージアムへようこそ PR資産としての魅力と可能性』上巻
室橋裕和『カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」』
ペーター・ヴァン・デン・エンデ『旅する小舟』
エドワード・ゴーリー 『青い煮凝り』
今月はインド料理に関する新書を2冊読んだ。一冊目は南インド研究者の笠井亮平による『インドの食卓』。「そこに「カレー」はない」という副題の通り、インド料理といえばカレーというイメージを解きほぐし、多彩な地域料理から国際化の中での現代料理まで、インド料理の多様さを描き出した一冊。『南海寄帰内法伝』での仏教僧の食事やバーブルの食べ物についての感想といった歴史的な話から始まり、インド料理イメージの代名詞と言えるタンドリーチキンやバターチキンはモーティー・マハルというレストランの発明である話や辛くないインド料理の話、ベジメニューの話にインド中華料理の話などが展開され、最後は日本におけるインド料理の話で終わる。水にクミンシードを混ぜてスパイスを加えた黄緑色のドリンクのジャルジーラや、インド中華を代表するという味付けのシェズワン(中華の四川)などは、全然知らないインド料理だった。最後の章ではいわゆるインネパ系に限らない、インドの諸地域の料理を味わえるお店が挙げられている。港町マンガロールの料理を専門としてスパイスのきいた魚介料理を提供する有楽町のバンゲラズキッチン、祖師ヶ谷大蔵のチェスティナード料理店スリマンガラム、「ナンはありません」という貼り紙を出す町屋のベンガル料理店プージャー、原宿のゴア料理店viva goa indian cafe。一回ぐらいは色々味わってみたい。
もう一冊はアジア専門ジャーナリストの室橋裕和による『カレー移民の謎』。こちらは日本におけるインド料理店、その中でも「インネパ」と称されるネパール人経営のインド料理店について取材した一冊。なぜネパール人がインド料理店を出しているのか、なぜここまでインネパ系のインド料理店が増えたのか、インド料理店を出すネパール人たちはどのような暮らしをしているのかといった疑問に対し、当事者たちへの取材からその実態を浮かび上がらせていく。農業と観光業しか産業が無くて出稼ぎ国家となっているネパールからやってきた人々が、金を稼ぐためにインド料理店に勤めて数年で独立していき、売れる物として元の店と同じようなコピーメニューで新たな店を開いていく。店を運営するネパール人の子供たちの教育面の苦しみが描かれていたのが心に残る。