「真実一路」の歩み

 大分空いてしまった。新型コロナウイルスの影響で、美術館も図書館も一挙に休館し、外出しようとも文化日照りにオロオロ歩く日々を過ごしていた。何というか、こんな時代になろうとも、イレギュラーな事態によって社会はここまで混乱して崩れていくんだなと。

 3月も半ばを過ぎ、いくつかの施設が開館へと転じ、地元の図書館も機能が限定されながらも何とか資料の貸し出しが出来るようになった。先の見えない状況はまだまだ変わらないが、本と展覧会ぐらいしか余暇の楽しみが無い身にとって少し気分がマシになってきたところで、昨日3月22日行ってきた展覧会の記録。

 

 

 三鷹駅から歩くこと十数分。大きな石を前景に、おとぎ話のような家が佇んでいる。煉瓦積みの1階外観に日本の家で目にすることのほとんどない煙突。作家・山本有三が一時家族と暮らしていたという、三鷹市山本有三記念館だ。ちなみに、門の手前にある大きな石は「路傍の石」という名前が付いている。

 到着したのは13時15分頃。恥ずかしながら未だに山本有三作品を読んだことはないが、この記念館に訪れた回数は5回を確実に越している。訪れる度に読みたい意識は募らせているのだが……。怠惰が悪い。受付で入館料の300円を払うと、新型コロナウイルス感染症の拡大防止のため、万一感染者が発覚した際に感染経路を特定するべく、名前・住所(市区町村まで)・電話番号を記入するよう求められた。……仕方あるまい。開館を無邪気に喜んでいたが、今はそういう事態なのだと思い知らされた。

 

 何度も訪れているが、大正期の本格的な洋風建築を簡単に目にすることが出来るのはやはり嬉しい。入ってすぐの場所は旧食堂で、左を向けば煉瓦造りの暖炉がある。その奥の小部屋は旧長女の部屋。今までの展覧会のカタログを閲覧でき、記念館の解説映像が流れている。植物の浮彫が為された木の椅子がいくつも並べられている。戻って常設展示として山本有三の生涯が解説されている旧応接間。こちらにも暖炉がある。常設展示は何度も眼にしているので、軽く目を通して上品な椅子が並べられた空間に目をやる。大豪邸じゃない、一家族が暮らした洋風の家。その空気を味わえるのがこの記念館の良い所で、それを感じたいが故に何度も足を運んでいる。

 

 階段を上がって2階へ。ここからがいよいよ企画展の展示となる。今回は「真実一路」の歩み。昭和10年(1935)から連載が始まった、山本有三の代表作である『真実一路』に関する展示。彼は家庭や家族をよく題材として取り上げ、『真実一路』もその一作だという。始め2つの展示ケースでは、家族を題材とした他の作品を説明と共に展示し、山本の家族観について解説していた。兄弟がいなかったのが、兄弟を題材として良く取り上げた動機ではないかという自己分析など。『波』において主人公が語った、子どもは親のものではなく「社会の子ども」であり、「人類の、宇宙の子ども」であると思想には興味を引かれた。曲解されると厄介な思想になりかねないが、無条件に肯定されがちな血縁関係を拠り所にできない場合に、一つの答えとして認められるものではなかろうか。今回の展示で挙げられていた作品を見ると、普通のうまくいった家族関係ではない家族を描き出したのが山本有三作品の特徴なのかもしれない。

 奥の展示ケースから、いよいよ『真実一路』の話へと入っていく。朝日新聞の文芸欄に作品を連載していく中、「第二の漱石」と銘打たれるほど声望を高めていた山本有三。そんな中、主婦之友社の編集局員の熱烈なラブコールで連載が始まったのが『真実一路』だという。大衆雑誌の「主婦之友」において純文学を連載し、しかも連載ページに広告を一切掲載しないという類例のない事態だったが、好評を博して作家の評価を高めることとなる。作品自体の質や作家の強さはもちろんあるにせよ、そこで通し切った雑誌社側の決断も素晴らしい。この話における雑誌側の人物の語ったことも良い。「読者にはホンモノを与えなくてはいけない。ホンモノさえ与えれば、読者はきっとわかってくれる」。

 ここの展示室でもう一つ面白かったのは、展示されていた都新聞の切り抜き。昭和11年(1936)3月13日の号で、山本有三が突然両目に斑点ができて物が見えなくなったという記事。ここで彼が語っていた内容が興味深かった。現代仮名遣いに改めて一部を引用する。「突然暗闇の世界につき落とされて私は始めて如何に耳で聞く日本語が難しいかを知りました。不便なのは日本語です。多くのやっと字が読める大衆の為に最も平易な常に使われる■粋(勉強不足で解読できなかったが、おそらく純粋か)の日本語、それがパパとかママとかでも良い、完全に同化された新語でもよい、私は新しい統一された日本語の仕様の為に仮令盲目になろうと此の余生を捧げようと考えています」。平易な文体での創作活動を進めた彼が、視覚を失って改めて自らの作品の意義を悟ったのではなかろうか。歩んできた人生が、後に自らに降りかかってきたような、そこで確かな実感を持って意味を感じられたような、そういう道を歩めたことの幸せを思った。

 

 次の展示室へ。ここは『真実一路』のストーリーの解説と、映画化された際の資料の展示。作品の内容について言及するのは避けるが、読んでみたいという思いは募った。登場人物の話を読んで生き方として感じ入ることが多そうなのは母親なので、映画に触れてみるのもよいのかもしれない。迷い悩もうと、各々が真実一路に生きていく話に、迷い続けて悩み尽きない身として大いに興味が湧いた。

  和室書斎の再現を軽く覗き、最後の展示室へ。間には、『真実一路』の挿絵を担当した近藤浩一路の作品が展示されていた。『真実一路』第1回目の連載に掲載された挿絵と同じ風景を描きとめた水墨画。画面の奥へと続く一筋の道。真実へと続く道であると信じたい。最後の展示室は山本有三の蔵書や鞄などが展示された、常設展の続きのような展示。前に来た時とは内容が変わっていたけれど。

 

 

 一通り展示を見て、記念館の裏に回って庭を見る。桜が咲いていた。桜の裏に竹が見える風景も珍しい。竹は山本有三が思い入れのあった植物だとか。久々にギャラリー以外で展示を見ることができて、幸せな時間だった。またいつか。