3月のまとめ

3月に行った展覧会まとめ

 

THE CLUB “all the women. in me. are tired. “ -すべての、女性は、誰もが、みな、疲れている、そう、思う。―
ギンザ・グラフィック・ギャラリー 河口洋一郎 生命のインテリジェンス
ROCKET Photographer MAL/丸本祐佐 30th anniversary solo exhibition
pixiv WAEN GALLERY LAM個展「目と雷」
NANZUKA Sex Matter
DIESEL ART GALLERY RK個展「NEOrient」
NANZUKA 2G Trex
西武渋谷店 コンテンポラリーアートセレクション
Bunkamura Gallery 金子國義展 聖者の作法
三鷹市山本有三記念館 「真実一路」の歩み
ぎゃらりー由芽 伊佐雄治展[円意]
トーキョーカルチャート by ビームス 佐藤理展「感謝感激雨霰(カンシャカンゲキアメアラレ) — GRATEFUL IN ALL THINGS」
EUKARYOTE ギャルだからって入りやめてくれ 軽率なギャルはギャルをリスペクトするならやめるべき
原宿ACG_Labo フレーミングガールズ~青木俊直個展~
渋谷ヒカリエ 小笠原盛久展ー出会いのラプソディ"Rhapsody in the Air"
國學院大學博物館 國學院大學図書館の名品~神の新たな物語―熊野と八幡の縁起~
渋谷マルイ 潤宮るか展 in 渋谷マルイ

 

美術館では展示を見なかった。大体の美術館・博物館が休館に入り、自粛要請でギャラリーも閉まる場所が多く出るとはなあ。見たい展覧会は早めに行かないと不測の事態で終わることがありうることを痛感した一ヶ月だった。来月も厳しそうだな。ジャンル問わず行ける数少ない場所と機会を大事にしよう。

 

 

3月に読んだ本まとめ

 

金原ひとみ蛇にピアス
佐々原史緒暴風ガールズファイト』1~2巻
島田明宏『ジョッキーズ・ハイ』

尾上陽介『中世の日記の世界』
影山純夫『禅画を読む』
衣川仁『神仏と中世人 宗教をめぐるホンネとタテマエ』
ケンジ・ステファン・スズキ『デンマークという国を創った人びと―”信頼”の国はどのようにして生まれたのか』
筒井清忠編『昭和史講義【戦前文化人篇】』
吉田裕『日本人の歴史認識東京裁判

 

小説はそんなに読まず、興味ある分野の知識を入れるかと読んだ本が多かった。コロナウイルスの影響で、図書館の書架で本を選べなくなったのが本当に辛い。図書館でブラウジングする時間が好きだったのだが。そして、近隣の図書館で予約資料の受け取りすら出来なくなってしまった。仕方ない、家の積読を消化していくか。

「真実一路」の歩み

 大分空いてしまった。新型コロナウイルスの影響で、美術館も図書館も一挙に休館し、外出しようとも文化日照りにオロオロ歩く日々を過ごしていた。何というか、こんな時代になろうとも、イレギュラーな事態によって社会はここまで混乱して崩れていくんだなと。

 3月も半ばを過ぎ、いくつかの施設が開館へと転じ、地元の図書館も機能が限定されながらも何とか資料の貸し出しが出来るようになった。先の見えない状況はまだまだ変わらないが、本と展覧会ぐらいしか余暇の楽しみが無い身にとって少し気分がマシになってきたところで、昨日3月22日行ってきた展覧会の記録。

 

 

 三鷹駅から歩くこと十数分。大きな石を前景に、おとぎ話のような家が佇んでいる。煉瓦積みの1階外観に日本の家で目にすることのほとんどない煙突。作家・山本有三が一時家族と暮らしていたという、三鷹市山本有三記念館だ。ちなみに、門の手前にある大きな石は「路傍の石」という名前が付いている。

 到着したのは13時15分頃。恥ずかしながら未だに山本有三作品を読んだことはないが、この記念館に訪れた回数は5回を確実に越している。訪れる度に読みたい意識は募らせているのだが……。怠惰が悪い。受付で入館料の300円を払うと、新型コロナウイルス感染症の拡大防止のため、万一感染者が発覚した際に感染経路を特定するべく、名前・住所(市区町村まで)・電話番号を記入するよう求められた。……仕方あるまい。開館を無邪気に喜んでいたが、今はそういう事態なのだと思い知らされた。

 

 何度も訪れているが、大正期の本格的な洋風建築を簡単に目にすることが出来るのはやはり嬉しい。入ってすぐの場所は旧食堂で、左を向けば煉瓦造りの暖炉がある。その奥の小部屋は旧長女の部屋。今までの展覧会のカタログを閲覧でき、記念館の解説映像が流れている。植物の浮彫が為された木の椅子がいくつも並べられている。戻って常設展示として山本有三の生涯が解説されている旧応接間。こちらにも暖炉がある。常設展示は何度も眼にしているので、軽く目を通して上品な椅子が並べられた空間に目をやる。大豪邸じゃない、一家族が暮らした洋風の家。その空気を味わえるのがこの記念館の良い所で、それを感じたいが故に何度も足を運んでいる。

 

 階段を上がって2階へ。ここからがいよいよ企画展の展示となる。今回は「真実一路」の歩み。昭和10年(1935)から連載が始まった、山本有三の代表作である『真実一路』に関する展示。彼は家庭や家族をよく題材として取り上げ、『真実一路』もその一作だという。始め2つの展示ケースでは、家族を題材とした他の作品を説明と共に展示し、山本の家族観について解説していた。兄弟がいなかったのが、兄弟を題材として良く取り上げた動機ではないかという自己分析など。『波』において主人公が語った、子どもは親のものではなく「社会の子ども」であり、「人類の、宇宙の子ども」であると思想には興味を引かれた。曲解されると厄介な思想になりかねないが、無条件に肯定されがちな血縁関係を拠り所にできない場合に、一つの答えとして認められるものではなかろうか。今回の展示で挙げられていた作品を見ると、普通のうまくいった家族関係ではない家族を描き出したのが山本有三作品の特徴なのかもしれない。

 奥の展示ケースから、いよいよ『真実一路』の話へと入っていく。朝日新聞の文芸欄に作品を連載していく中、「第二の漱石」と銘打たれるほど声望を高めていた山本有三。そんな中、主婦之友社の編集局員の熱烈なラブコールで連載が始まったのが『真実一路』だという。大衆雑誌の「主婦之友」において純文学を連載し、しかも連載ページに広告を一切掲載しないという類例のない事態だったが、好評を博して作家の評価を高めることとなる。作品自体の質や作家の強さはもちろんあるにせよ、そこで通し切った雑誌社側の決断も素晴らしい。この話における雑誌側の人物の語ったことも良い。「読者にはホンモノを与えなくてはいけない。ホンモノさえ与えれば、読者はきっとわかってくれる」。

 ここの展示室でもう一つ面白かったのは、展示されていた都新聞の切り抜き。昭和11年(1936)3月13日の号で、山本有三が突然両目に斑点ができて物が見えなくなったという記事。ここで彼が語っていた内容が興味深かった。現代仮名遣いに改めて一部を引用する。「突然暗闇の世界につき落とされて私は始めて如何に耳で聞く日本語が難しいかを知りました。不便なのは日本語です。多くのやっと字が読める大衆の為に最も平易な常に使われる■粋(勉強不足で解読できなかったが、おそらく純粋か)の日本語、それがパパとかママとかでも良い、完全に同化された新語でもよい、私は新しい統一された日本語の仕様の為に仮令盲目になろうと此の余生を捧げようと考えています」。平易な文体での創作活動を進めた彼が、視覚を失って改めて自らの作品の意義を悟ったのではなかろうか。歩んできた人生が、後に自らに降りかかってきたような、そこで確かな実感を持って意味を感じられたような、そういう道を歩めたことの幸せを思った。

 

 次の展示室へ。ここは『真実一路』のストーリーの解説と、映画化された際の資料の展示。作品の内容について言及するのは避けるが、読んでみたいという思いは募った。登場人物の話を読んで生き方として感じ入ることが多そうなのは母親なので、映画に触れてみるのもよいのかもしれない。迷い悩もうと、各々が真実一路に生きていく話に、迷い続けて悩み尽きない身として大いに興味が湧いた。

  和室書斎の再現を軽く覗き、最後の展示室へ。間には、『真実一路』の挿絵を担当した近藤浩一路の作品が展示されていた。『真実一路』第1回目の連載に掲載された挿絵と同じ風景を描きとめた水墨画。画面の奥へと続く一筋の道。真実へと続く道であると信じたい。最後の展示室は山本有三の蔵書や鞄などが展示された、常設展の続きのような展示。前に来た時とは内容が変わっていたけれど。

 

 

 一通り展示を見て、記念館の裏に回って庭を見る。桜が咲いていた。桜の裏に竹が見える風景も珍しい。竹は山本有三が思い入れのあった植物だとか。久々にギャラリー以外で展示を見ることができて、幸せな時間だった。またいつか。

2月のまとめ

2月に行った展覧会まとめ

 

原宿ACG_Labo 原宿小林展
太田記念美術館 肉筆浮世絵名品展―歌麿北斎・応為
渋谷スクランブルスクエア KINGDOM HEARTS #繋がるハート展
國學院大學博物館 古物を守り伝えた人々―好古家たち Antiquarians―
Bunkamura Gallery 空想/Memories-過去と未来の物語-
Bunkamura Gallery GRAFFITI STREET ストリートアートの40年
ポーラミュージアムアネックス ポーラ伝統文化振興財団40周年記念展「無形にふれる」
Gallery Q 香港の不自由展
新宿マルイアネックス ヲタクに恋は難しい原画展
半蔵門ミュージアム 復元された古代の音
伝統芸能情報館 歌舞伎の四季
ぎゃらりー由芽 平塚良一展
ぎゃらりー由芽のつづき 小山正展
明治大学平和教育登戸研究所資料館 少女が残した記録―陸軍登戸出張所開設80年―
Bunkamura Gallery 版画と立体 言葉のいらない物語
Bunkamura Gallery 昭和ガレージボックス 高度経済成長時代に台頭したカウンターカルチャー-昭和40年代を中心に
世界のカバン博物館 2020 モチハコブカタチ展 新しい生活 それぞれの2WAY BAG
ラフォーレミュージアム原宿 矢後直規展「婆娑羅
pixiv WAEN GALLERY Tiv個展「emoTive」
アップリンク吉祥寺 Making of GON –ストップモーション・アニメーションの舞台裏-
渋谷マルイ 漫画家つくみず展~『少女終末旅行』から『 シメジ シミュレーション』へ~

 

諸事億劫な気分が続いてあまり行けず。登戸研究所資料館は行った記録が執筆途中で止まっており、ブログを始めた意味が失われつつある。いづれ公開するやもしれん。コロナでここまで美術館・博物館が休館になると思っていなかったから、3月もあまり行けないかもしれない。

 

 

2月に読んだ本まとめ

 

E.G.サイデンステッカー『谷中、花と墓地』
末羽瑛『Let it BEE!』
多田富雄『寡黙なる巨人』
出口きぬごし『天華百剣 -乱-』
中島京子『夢見る帝国図書館

ホセ・サナルディ『南米妖怪図鑑』
高橋典幸五味文彦編『中世史講義』
時田昌瑞『辞書から消えたことわざ』

 

あまり本も読まなかった。ずっと積読のままだった『中世史講義』をようやく読めたのは良かったが、読んで勉強不足を痛感、さらに色々な書籍に当たらねばと決意を新たにし、またまた読まねばならないと感じる本が増した。あまり小説は読まなかったね。

肉筆浮世絵名品展 ―歌麿・北斎・応為

 朝夜が寒くなってきたかと思えば、また暖かくなり出す冬らしからぬ東京の冬を過ごしている。暖冬のおかげで今年はまだ暖房を導入していないが、このまま春が来るまで持ちこたえられるだろうか。これまた日付が空いてしまったが、今回は1日(土)に訪れた太田記念美術館の話。

 

 葛飾応為の『吉原格子先之図』が出展されるとのことで、ウェブ版美術手帖で宣伝を見て以来ずっとマークしていた展覧会だったが、気づけば会期が終わり(9日まで)に近づいていたのに気づき急いで行くことに。ついでに渋谷・原宿エリアで展覧会をいくつかチェックし、まとめて巡ることに。原宿へ降り立ち、行程の都合から原宿ACG_Labの原宿小林展「創造の迷図」にまず向かう。原宿駅のこの木造駅舎をここで目にできるのはもう長くないんだね。小林誠のメカデザイン原画や空想の都市図に感動しながらあっさりと原宿ACG_Labの展示は流し、太田記念美術館へ。

 

 

 太田記念美術館に到着したのは13時40分頃。土曜日なのもあってか、結構混んでいる。入館料の700円を支払って入館。まずは入って左手の畳敷きのエリアから。靴を脱いで畳の上で作品を鑑賞するスペースを取っている美術館は他に知らない。畳の上でじっくりとくつろぎながら鑑賞できれば最高なのだが、混雑していて普通に鑑賞するのとそこまで変わらない気がする。

 最初に展示されているのが葛飾北斎の『雨中の虎』、その隣に葛飾応為の『吉原格子先之図』が展示されていて驚いた。今回の展覧会の目玉と言える2作品じゃないか。最初からクライマックスな構成だ。『雨中の虎』は北斎が没年に製作した作品で、虎と言うには少し奇妙な虎が描かれている。胴体に比して首も足も長い。面貌も恐ろしさよりは可愛らしさに近い物を感じた。身体を捻って宙を睨むその先には、この作品と対幅であるギメ美術館蔵の『龍図』の龍がいるらしい。

 隣の『吉原格子先之図』の前へ来て作品を鑑賞する。想像していたよりは小さな絵だった。煌びやかに賑わう世界とそれを外から眺める人々の世界の格差が、光の明暗でくっきりと分かれているのが素晴らしい。今ほど夜が明るくない江戸の世で、夜も無く煌めく場とそうでない場の差は大きかったんじゃないか。昨年は朝井まかての『眩』を読み、東洋文庫北斎展を見た。今回のこの展覧会で、北斎―応為のマイブームがキリのいい所へ来た感じがする。すみだ北斎美術館でも今展覧会やっているんだけどね。『吉原格子先之図』を目にできたのがそれだけ嬉しかった。

 畳エリアの最後の作品は喜多川歌麿の『美人読玉章』。吉原遊郭の遊女が恋文を読む姿を描いた作品。良い作品だとは思うのだが、浮世絵の中でも美人画に対する興味が薄いため、前2作ほど惹きつけられることは無かった。この3点で畳の上での鑑賞は終わり。見始めたところで、職員の方がガラスの曇りを必死に拭っていた姿が印象に残った。

 

 ここからは時系列に沿って浮世絵が陳列されていた。最初はⅠ:初期浮世絵時代の絵師たち。彩色の無い水墨画岩佐又兵衛『小町図』に始まり、菱川師宣、菱川師房の作品が続いていく。風景画が少ないな。古山師重『隅田川両国橋之景』ぐらいだ。初期には少ないのか、コレクションとしてあまり持っていないのか、展示として魅せていく際に美人画を重視したのかどれなのだろう。

 興味を引いたのは奥村政信『団十郎高尾志道軒円窓図』。歌舞伎俳優の団十郎、名妓の高尾、講釈師の志道軒の3人の顔が、丸い画面の中に描かれている。大きく目を見開いた団十郎、いかにもな浮世絵美人の高尾、目を細めてにやりとした表情の志道軒と三者三様の顔をしている。当代のスターが一堂に会した作品と言ってよく、それぞれの職業イメージというか雰囲気が感じられるのが良い。

 

 Ⅱは錦絵誕生から天明・寛政の絵師たち。鈴木春信の『二世瀬川菊之丞図』から始まった。鈴木春信の数少ない肉筆画だそうだ。非常に細長い画面が印象的。この作品と礒田湖龍斎の『雪中美人図』を鑑賞して2階へ上る。

 2階に来て画面全体の彩りが一気に増した感じがした。色世界が広がったというか。階段を上がってすぐの所にあったのは北尾重政『美人戯猫図』。着物姿の女性が、猫に繋がれた紐を引いている絵画。ひっくり返った猫の姿が良いな。紐と言っても、画中では細い白い線がまっすぐ伸びているだけだから、糸のように見えなくもない。

 次に展示されていた勝川春章『桜下詠歌の図』が絵として面白かった。満開の桜の下、短冊に和歌を認める若衆と、それを花見幕から覗く多くの女性を描いた作品。花見幕の上に女性の顔だけ多く描かれているため、『美人戯猫図』を鑑賞しながら横目でこの作品を見た際、女性の生首がずらっと居並ぶ様子に度肝を抜かれた。キャプションを読んでなるほどこういう作品なのかと納得したが、それでも異様な光景だ。若衆の供がふんどし姿で正座しているのが手前に描かれており、尻丸出しの姿が否応なく目につくのも滑稽だ。何も知らぬは若衆のみ、世界は馬鹿さで溢れている。技法的な話では、幕の切れ目から着物の色が覗く趣向になっているらしいが、画面全体の面白さが個人的には全てだった。

 あと印象的だった作品を数点挙げよう。鍬形蕙斎の『桜花遊宴図』は、画面を斜めに桜の木が貫いており、桜の木の上から画中世界の盛り上がりを眺めているような見下ろした構図。浮世絵は横から世界を眺める構図の印象が強く、こういう立体的に上から見る構図は珍しい。何というテーマでもないが、喜多川月麿の『美人花見の図』には思わず笑ってしまった。女性5人の花見道中を描いた作品だが、現在のおばさん達の遠足だよなあと思うとおかしさが込み上げてしまった。いつの時代も変わらないものだ。最後に窪俊満の『雪梅二美人図』。色彩がほとんど用いられない、濃淡墨で描かれた作品。女性が持つ傘の色の乗らないのっぺりさが心に残る。降り積もった雪の表現だろうか。

 2階に上がってから、壁に展示される作品群と通路を挟んで置かれていたショーケースには絵巻物が展示されていた。ここは特に印象にも残らなかったので割愛。

 

 Ⅲ:文化・文政から幕末・明治の絵師たちに移る。歌川広重葛飾北斎の作品が満を持して登場した。印象に残った作品をいくつか挙げていく。歌川広重の『日光山裏見ノ滝』。滝の裏側から滝を見る旅人が描かれている。こういう裏見が今でも出来る場所はどこかにあるのだろうか。一度見てみたいところだ。それに限らず、また滝を見に行きたいな。

 河鍋暁斎の『達磨耳かきの図』は、耳かきされている達磨の表情が良い。くすぐったいような、場面を覗かれた恥ずかしさのような、それでも威を保とうとしているような、厳しくはない何とも言えない表情。

 月岡芳年の『雪中常盤御前図』。画面の背景と同化したような着物や笠に、雪の強さを感じさせる作品。たなびく木は風の強さを感じさせ、常盤御前の厳しい道行を伝える。雪のことばかり書いているな。

 あとは小林清親『開化之東京両国橋之図』。最後の最後で浮世絵っぽさが薄れた新しい時代な絵だ。両国橋や行きかう人々、渡る舟を黒いシルエットでまとめ、提灯の灯りがぼんやりと燈っている絵画。縦長の画面で、両国橋を下から仰ぎ見る構成となっている。国立劇場で12月に観た歌舞伎の『蝙蝠の安さん』を思い出した。チャップリンの『街の灯』を歌舞伎に脚色した作品で、主に物語が展開される場所が橋だ。主人公のその日暮らしの蝙蝠の安が暮らすのは橋の下、身投げする裕福な商人を助ける場も橋、花売り娘と運命の出会いを果たすのも橋。夜の暗くなった橋で展開される劇で、ちょうど橋の下から見上げるこの画中世界が、この劇を思い起こさせる。

 

 Ⅲが始まる辺りのショーケースまで戻り、Ⅳ:扇の名品―鴻池コレクションを見る。歌川豊春『常盤御前』を見て、おお月岡芳年と同じ主題だと見入ってしまった。こちらは降る雪の中に座っている構図。

 

 

 という感じだった。風景画や名所画などがあまりなかったのは、肉筆浮世絵の範疇ではなく版画浮世絵の範疇なのだろか。美人画にそこまで興味がそそられず、それらの作品の前では着物の煌びやかさだけを眺めて終わってしまったのはやや残念。クライマックスが最初に来てしまい、どうなるかなと思っていたが、知らない画家や作品で食指が動き、全体として満足度が高い展示だった。欲を言うともう少し空いている時に来たかったがまあ仕方ない。ではまたいつか。

1月のまとめ

1月に行った展覧会まとめ

 

東京国立近代美術館工芸館 パッション20 今みておきたい工芸の想い
国立近現代建築資料館 吉田鉄郎の近代 モダニズムと伝統の架け橋
銀座メゾンエルメスフォーラム 「みえないかかわり」イズマイル・バリー展
ギンザ・グラフィック・ギャラリー 動きの中の思索―カール・ゲルストナー
pixiv WAEN GALLERY しゅがお初個展「MIMI STREET」
GYRE GALLERY チェ・ジョンファ「Blooming Matrix 花ひらく森」 展
Bunkamura Gallery ART BAZAR 2020
国立公文書館 初づくし-初にまつわる江戸時代の行事・風習-
米沢嘉博記念図書館 おしぐちたかしコレクションから見る海外マンガ展
明治大学博物館 神田発信!大学スポーツの軌跡
とらのあな秋葉原店B うたわれるものイラスト展2020
ジーストア・アキバ  ドキドキ★ビジュアル★展覧会2020
東京国立博物館 出雲と大和
武蔵野ふるさと歴史館 お蚕さまの家

 

精神的に出無精だったために大して展覧会にも行かなかった。規模の大きな展示にもそこまで行かず、消化不良感が否めない。

 

 

1月に読んだ本まとめ

 

相戸結衣『流鏑馬ガール! 青森県立一本杉高校、一射必中!』
大崎善生『将棋の子』
河合ゆうみ『花は桜よりも華のごとく』1巻
最果タヒ『きみの言い訳は最高の芸術』
ネヴィル・シュート『渚にて-人類最後の日-』
中村文則『悪意の手記』
宮澤伊織『裏世界ピクニック』4巻
モリエール『人間ぎらい』

『20世紀の歴史家たち(1) 日本編(上)』

 

出無精分だけ本を読めたらよかったが、そこまで読めなかった。棚で目についた小説を手当たり次第に手当たり次第に読んでいるが、読み切れず消化不良な物が多いのは残念。読みたい興味ある新書類も結構な数メモしているので、読む本が無くなることはない。

 

 

トーハクの感想を書くまで置いておいた結果、1月まとめを書くのが2月入って一週間後になったのは反省。溜めていくのは良くない。

出雲と大和

 前回から一挙に空いてもう2月まで来てしまった。あまり外出意欲が湧かずに読書に勤しんでいたのだが、そこまで読んだ本が多い訳でも無く、時の流れに気づけば1月は過ぎ去っていった。合間に行った展覧会では、代官山ヒルサイドフォーラムでやっていた「夢の実現」展が面白かった。実現してみた色彩も作品も、それはそれで元作品とは分かれてまた別の作品としての価値を持つんじゃないかと思うと、作品を作品足らしめる真正性とは何なのだろうと考えてしまう。前置きはこれぐらいにして、今回は25日(土)に東京国立博物館で鑑賞した展覧会の話。

 

 昼に赴いた国立公文書館の企画展に始まり、米沢嘉博記念図書館明治大学博物館の企画展、秋葉原のイラスト展2ヶ所を徒歩で巡り、疲れの蓄積と共に日は落ちて行った。東京国立博物館は21時まで開館しているので時間に余裕はある。晩御飯を摂って少し休憩して上野公園に向かって歩くこと十分ほど。ようやく今日の本命である東京国立博物館に到着した。時間は18時45分ぐらい。宵闇の中に灯りが光る宮殿のような佇まいに感動しながら、チケットを見せて入館。招待券をいただいたので入館料は無料。トーハクの特別展を見るのは何年ぶりだろうか。時間があれば是非とも常設展も見たいが果たして時間はあるか。平成館で展覧会のチケットをもいでもらい、エスカレーターを上っていよいよ展示場フロアへ。

 

 

 最初の挨拶を読む。令和2年(2020)が『日本書紀』の編纂された 養老4年(720)から1300年だと。そういえばそうだったね。というか展示の枕詞にも書いてあった。『日本書紀』の冒頭部分に超常世界の「幽」に当たる出雲大社と現実世界の「顕」に当たる大和の話が記されており、その対比が今回の特別展のコンセプトらしい。

 

 まずは第1会場。入るなり巨大な3本の木の柱がお出迎え。往古に出雲大社本殿を支えていた柱材の一つ、宇豆柱だ。宝治2年(1248)に遷宮した際の物。出雲旅行の際にも目にしたがやはり大きい。木の生々しさが、確かに建材として時代を経てきたことを感じさせる。これをよくぞ島根からトーハクまで運んできたなあと、運搬・設置の労を想像した。

 最初のエリアは第1章「巨大本殿 出雲大社」として、出雲大社本殿に関する史料と宝物の展示。宇豆柱の左手には、今回の展示コンセプトの部分の出処たる記述が記されている『日本書紀』の部分が展示されていた。目印は付いているので、確かに「幽」と「顕」という文字は見えるのだが、読みたいその周辺の記述の意味がよくわからない。翻刻されていないのもあるが、翻刻されていたとして『日本書紀』を読解できる次元に自分は達していない。一解釈という形でもよいので、字が現れる一帯の翻刻と簡易訳はあると良かった。出雲大社オオクニヌシが「幽」、大和の天皇が「顕」を司るという説明はあったのだが、史料上の記述を知りたかったので。

 第1章の説明を読み、奥へと進んでいく。宇豆柱と同じく出雲大社の本殿を支えていた柱の心御柱がまたもやどーんと現れたが、初見の宇豆柱のインパクトにはかなわない。右手に宝物が、左手には古代の出雲大社本殿の復元模型が展示されていた。出雲大社の復元模型を見、展示空間の宇豆柱と心御柱の間の幅は実際の物を反映しているという記述を見て思わず後ろを振り返った。模型とキャプションの記述からすると、心御柱を中心に9本の柱が出雲大社本殿を支えており、そこから長く長く続く階段が降りていく。展示空間の中に想像の出雲大社を顕現させ、そのあまりの大きさに言葉を失った。なんと巨きな世界なのだろう。長い階段はエストニア国立博物館みたいなのだろうか。

 いよいよ展覧会らしい細々した物の陳列を見て行く。まずは出雲大社境内遺跡の出土品から。銅戈・勾玉に始まり、臼玉・勾玉、須恵器、土師器などが続いていく。勾玉は英語でcomma-shaped bead、臼玉はmortar-shaped beadというのか。綺麗な緑の勾玉と、赤い瑪瑙の勾玉が展示されていた。臼玉と勾玉のセットのキャプションで、大和産の滑石製の玉類と出雲産の瑪瑙の勾玉とあったが、産出地の特定はどうなされているのだろう。考古学に詳しくないが、大和産だとはっきり述べられるのはなぜなんだ?

 さらに奥に進んでいくと、遷宮記録の文書類が壁側に、鎧や本殿模型、太刀が内側のケースに入って展示されていた。これらの文書類が残っているおかげで、今でも出雲大社遷宮の様子などがわかるんだなあ。やっぱり記録は残していくべきものだな。

 

 第2章に入る。「出雲 古代祭祀の源流」。加茂岩倉遺跡でまとまって発見された銅鐸の山が埋まっていた様子を再現したコーナーが導入として入る。写真撮影が可能だったので、折角なので撮影。密集して埋まっていたのが窺える。

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埋まる銅鐸山

 まずは出雲地域が方々と交流があったことを示す資料群から。南海地域産であろう貝輪と土笛、人面付きの土器、分銅型の土製品。日本海に面する立地から、古くから日本海を介した交流が行われていたと。それはそうだろうなあ。

 進んで広い部屋に出た。左手に数多の銅鐸が、右手には銅剣が何本も飾られている異様な空間が広がっていた。予想より遥かに数が来ていてびっくりした。島根県立古代出雲歴史博物館に訪れたことがある以上、銅剣や銅鐸の物量で圧倒されることは無いだろうと思っていたのだが、東京でこれだけ目にすることができようとは。出雲の博物館ではさながら武器庫のように銅剣が壁一面に展示され、銅鐸も膨大な量見ることができる。

 改めて銅鐸を見て行くと、大量生産品のシンプルな模様の物と、一点ものの贅沢に模様が施された銅鐸があることに気づく。伝香川県出土の銅鐸は、6つの区画全てに絵が描かれた豪華な銅鐸だった。また、隠岐諸島の海土町で出土した銅剣が展示されており、島嶼部でも青銅器祭祀が行われていたことを知る。そこまで伝わったのか、現地製造なのかはわからないが。

 しかし、これだけの物量の青銅器が発見されている出雲地域は、各地に先駆けて青銅器祭祀を辞めたらしい。そして、墳丘墓を作る時代へと変わっていく。青銅器を介したカミマツリが墳丘墓を舞台とした王が執り行うカミマツリになったとキャプションにはあった。個人的に今回の展示のキャプションで初めて驚いたところだった。だったらなぜこれだけ青銅器が発掘されるのだろうか。出雲という立地か、それだけ青銅器祭祀が盛んだったからか?ともあれ、人、そして古墳の時代へと移っていったタイミングで、展示も幽たる出雲から顕たる大和へと移っていく。

 

 第3章「大和 王権誕生の地」。ここでは主に奈良県の古墳で出土された品々が展示されていた。展示空間の中央には何枚もの三角縁神獣鏡が並ぶゾーンが。壁際の展示から見て行くことにする。まずはメスリ山古墳の出土品から。玉杖と鉄弓・鉄矢が展示されていた。古墳時代の副葬品としてあまり聞いたことが無いと思っていたら、後者は他に類例のない物だとか。青銅器である銅剣が祭祀具として数多出土されているのは流石に知っていたが、鉄器で武器を象った物もあるんだね。鉄弓は弦を引くことができないので、まあ儀礼的な物だろうと。大きな円筒埴輪も展示されていた。ドラム缶が3つ並んでいるかのようだ。

 次は島の山古墳出土品が並ぶ。腕輪型の石製品の石釧・鍬型石と車輪石。貝殻型腕輪を祖型とする物が、古墳時代に石製品として写された物であると。貝殻のままでもよかったものが、石に写されて石製品として残ったことには何か意味があるのだろうか。貝殻は外界交流を伴う必要があるが、交流なく内部で生産できるようにした物なのか。逆に言うと、貝殻型の腕輪類がかつてこの地域まで伝わっていたということにもなるか。車輪石も貝類祖型の石製品で、埋葬された内部に貼り付けられ、邪を払う役割があったと推定されているらしい。見た目がフジツボみたいで、発掘された様子がびっしりいるフジツボにしか見えなかった。

 中央の鏡エリアを見て、居並ぶ埴輪達を眺めて第1会場は終了。出雲旅行で大体見たし、改めて特に感動もないかなと出雲エリアについてはそこまで期待していなかったのだが、見たことがあろうとも柱と模型からは太古の世界の大きさを感じさせられる。

 

 第2会場へ。引き続き第3章。入ってすぐの所に古墳期の造船部材と、それを基にした模造船が展示されていた。こんな船であちこちと交流を持っていたのだなあ。ここからは、古墳時代の交流を窺わせる舶来品が続いていく。驚いたのは、ササン朝ペルシア系のガラス碗が展示されていたこと。古墳時代の国際交流のイメージがあまり強くなかった(倭の五王ぐらいか)が、まさかペルシア系の物まで日本に伝わっていたとは。中国・朝鮮・日本の狭い東アジアの古墳時代観が、一気に拡がった瞬間だった。まあ中国の交流度合いを考えると不思議ではないのだが、ペルシア品といえば正倉院まで時代が下るので、それだけ新鮮だった。ここで展示されていて面白かったのは火熨斗。皿の中に炭を入れ、熱や重さでしわを伸ばす……要はアイロン。古墳時代版のアイロンということで、なんだか一気に世界が身近に感じられた。遥か昔からあるもんだね。

 奥に進むと、石上神宮の七支刀が展示されていた。こんな物まで来ているとは!トーハクすごいな。有名な品を見て驚いたのはこの展覧会で唯一だった。一歩先のエリアには同じく石上神宮所蔵の大きな鉄盾が展示されており、中国戦国時代イメージの盾が日本にも伝わっていたのだなあと。伝わったのが自前なのかはわからないが。

 その先には壮麗な馬具が展示されていた。精緻な彫金細工は、今目にしても色あせない高い技術を感じる。出雲の博物館で見たような気がする太刀を見て、子持ち壺にアート的な奇抜さを感じて先へ進んでいき、いよいよ時代は仏教の時代へ。

 

 第4章「仏と政」。政治や権力の象徴が古墳から寺院へと切り替わり、展示物の多くは仏像だった。最初に展示されていた飛鳥寺塔心礎埋葬品は、玉類が含まれるなど古墳の副葬品と共通する物が見える。島根県鰐淵寺の観音菩薩立像が展示されており、飛鳥時代の7~8世紀にはもう現島根県地域に仏教が浸透していたのだなと。純粋な疑問だが、薩摩に仏教が浸透したのはいつなんだろう。北の方は?

 ここの展示エリアで一番印象に残ったのは、當麻寺持国天立像。一見して、なぜ武将の像が仏像エリアにあるのか疑問を抱いた。髭を蓄えた写実的な面貌や、ポーズを取らない直立した姿は、中国の武将を思わせる像にしか見えない。なるほど、足元には確かに邪鬼が踏みつけられており、ああ四天王像なのだと。すごく丸まった上に乗られていた。

 伎楽面を目にしたり、唐招提寺の四天王像や島根県萬福寺の四天王像を見て、その雄々しさと展示空間に感動したりしながら、最後のエリアはあっさりと過ぎていった。どうも仏像に対する興味があまり強くない。一番最後には法隆寺金堂壁画の複製陶板があり、これまた撮影OKだったので撮影する。そういえば法隆寺は行ったことが無いな。

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法隆寺金堂壁画複製陶板

 

 閉館まで1時間も無いが、折角来たので見そびれていた「博物館に初もうで」を急いで見る。ネズミと大根の取り合わせで大黒天を想起させる判じが面白かった。常設展は見たかった刀剣エリアが残念ながら見られないので、近代美術のエリアを眺めて退館。充実した一日だった。

 

 

 さっさと感想を書くつもりが、気づけば行ってから2週間近くが経とうとしている。展示を見ながらメモしたことに基づき、記憶のままに書いたわけではないから大きく違うことはあまり無いとは思うが、直近の感動やら思考やらはもはや消えようとしている。結局、「幽」と「顕」について具体的なイメージを抱けたかというとそこまでではなかったが、古墳時代が地方の狭い閉じた世界ではなく、開けた大きな世界だったのだと認識を新たにできたことは意味があった。常設展を見るのに必死だったからミュージアムショップを覗けずに終わったが、行けばよかったな。

12月のまとめ

12月に行った展覧会まとめ

 

田端文士村記念館 芥川龍之介の生と死~ぼんやりした、余りにぼんやりした不安~
TAV GALLERY 岡田舜個展「RETROJECTIVE」
とっとり・おかやま新橋館 漫画刀使ノ巫女ミニ複製原画展
とらのあな秋葉原店B よむ展5
東洋文庫ミュージアム 東洋文庫北斎
山種美術館 東山魁夷の青・奥田元宋の赤―色で読み解く日本画
早稲田大学歴史館 人形劇、 やばい!
三鷹市美術ギャラリー 壁に世界をみる―𠮷田穂高
太宰治文学サロン トカトントン~音を巧みに、心に残す~
調布市文化会館たづくり 市川銕琅・悦也父子展
南極・北極科学館 南極隕石展―やまと隕石発見50周年―
三井記念美術館 国宝雪松図と明治天皇への献茶
国立映画アーカイブ 日本・ポーランド国交樹立100周年記念ポーランドの映画ポスター
銀座蔦屋書店 「令和・京・美人」展

 

もう少し色々行きたかったが、外に出る気分に成り切らなかったのと年末閉館の影響からあまり行けず。折角のぐるっとパスも消化不良になってしまった。

 

 

12月に読んだ本まとめ

 

住野よる『君の膵臓をたべたい』
津村節子『瑠璃色の石』
葉山嘉樹『セメント樽の中の手紙』
ヘルマン・ヘッセ『クヌルプ』
宮本輝『血の騒ぎを聴け』
楊逸『時が滲む朝』
吉村萬壱『ボラード病』

山本浩貴『現代美術史 欧米、日本、トランスナショナル

 

空いた年末に何冊か小説を読んだ。『現代美術史』を読むのに時間を取られ、図書館で借りた物も碌に消化しきれず、長めの小説を読めなかったのも残念。色々不満足なまま一年が終わり、新たな一年がもうすぐやってくる。展覧会にせよ本にせよ、もっと色々な物に触れていきたい。